ネパール旅行⑦やっぱりアクシデントか
エベレストフライトからホテルに帰って朝ごはんを食べたら、一気に眠気に襲われた。
3人でぐっすり寝てしまい気付いたらお昼。
お昼ご飯でも食べに行くか、とホテルを出る。
今日ももちろん日本食。
カトマンズにも日本食レストランがいくつもある。
ホテルを出ると、何となく交通量が少なく感じる。
何となく町中も賑やかさがない。
お目当てのレストランに着いて建物に入ろうとすると「クローズだよ」と、ガードマンに言われた。
ネパールもインドと同じくヒンドゥー教徒の多い国。
インドがディワリというお正月なのと同じで、ネパールもティハールというお祭りの真っ只中。
もしかしてそれで休みなの?
「今日はnational holidayですか?」
と聞いても何とも答えてくれないガードマン。
他に目をつけていたレストランを調べて電話してみるけど、どこも電話に出てくれない。
電話に出てもやっぱり今日はクローズとのこと。
旦那しかSIMカードを買ってなかったから一緒に調べることが出来ないし、息子はスロープと階段を行ったり来たりするのにも飽きてお腹も減ってきてぐずぐず。
その場で小一時間粘って調べたり電話してみたけど、あかん、とりあえずホテルへ帰ろう。
ホテルへ帰るタクシーの中でよく町中を見てみるとほとんどのお店のシャッターが下りている。
お祭りの頃はお店が閉まるとは聞いていたけど、昨日はホテルの前でもダンスしてたり楽器を持った人たちが練り歩いていたり、どこも賑わってたから油断したー。
ここまで順調に来たのにやっぱり何かあるな。。。
ホテルにもレストランはあるし営業もしてるんだけど、ローカルメニューばかりで息子の食べれそうな物がない。
旦那が1人偵察に行ってくれると、ホテルに併設されてるレストランがやってたのでお腹ぺこぺこで滑り込む。
他に食べる所も少ないから観光客でいっぱい。
でも運良くすぐに席に座れた。
食べれたのは3時。
やっと、、、、
息子もパラパラのご飯とフライドポテトをもりもり食べた。
でも今日はいいのだ!
朝にエベレストを見て、それで今日の、ネパール旅行の目的は果たしたんだから!
もうここでガッツリ食べて夜は食べずに早く寝ちゃおう!
そうしよう!
エベレスト見たから、、、
いいんだこれで、、、
そう自分たちに言い聞かせた。
夕方はダルバール広場へゆっくりお散歩。
夕方からはお店も少しずつ開いてきてるようだった。
まだまだ地震の被害が残ったままの町。
有名な広場もほとんどの建物が壊れたまま、つっかえ棒がしてあった。
今日が休みで作業してないだけなのかな?
でも地震から1年半もたった姿には見えなかった。
つっかえ棒をして応急処置をしているだけで修復をしている最中には見えない。
崩れた壁からはたくさん草が生えている。
本当のところは知らないけど、なんだか途方に暮れて諦めてしまったような雰囲気。
夕方ということもあったのか、すごく寂しい気持ちになってしまった。
↓すべてはここから始まった。
ネパール旅行⑥世界で一番高いところ
旦那と2人、「6万、、、6万、、、」と呟きながら悩んで悩んだ。
同じようなエベレストフライトに乗った人のブログとかを探して読み漁ったり。
でも感想なんて人それぞれ。
すごくオススメって書いてる人もいれば、思ってたより見えなかったって人もいる。
天候や時間帯によっても違うだろうし、そもそも主観だし、一周まわって振り出しに戻り、やっぱり決定打にはならない。
「でもさ、ここまで来といて悩んでケチって行かへんかったら意味わからんからもう行こう!」
そう旦那が言ってくれた。
インドに来た今。
仕事もしてなくて、旦那の働いて稼いでくれたお金を消費するだけの自分。
もちろん日本にいるより大変なことも多いけど、やっぱり心のどこかで負い目を感じている部分もある。
旦那が行こうと言ってくれなかったら私には決断できなかっただろうな。
旦那が色々調べてくれて、ツアーには頼まず直接航空会社にオンラインで予約した。
朝は5時にホテルを出る。
サンライズツアーに引き続き、また大人に振り回される息子。
それでも飛行機に乗れると聞いて、寝ぼけ眼で喜んでいた。
ポカラへ行くのと同じ飛行機。
3列の席の真ん中は使わず、全員が窓側になるようにして20人程が乗り込む。
1時間のフライトに出発だ。
飛び立ってすぐにヒマラヤの山々が見える。
搭乗チケットと一緒に、山の写真と名前、標高の書いた紙をもらっていた。
CAさんが回ってきて今見えてるのがどの山か、紙と照らし合わせて教えてくれる。
順番にコクピットに呼ばれる。
操縦席とそこからの景色も見せてくれた。
息子を抱えて行ったプラス興奮していて、まともな写真はなし。
客席の窓からとは比べ物にならない景色。
毎日こんな山を見ながら飛べるなんて、ネパールの航空会社のパイロットが羨ましすぎる。
地上から見える、山が並んでいる景色とは違って、複雑に入り組んだ地形なのがよく分かる。
あ!!!
ついに!
ついに見えてきた!
窓いっぱいに広がる景色の向こうの方に一際高い山がある。
エベレストだ!!
一目でそれと分かる存在感。
少しずつ近付いていく。
ここが世界で一番高いところ。
たくさんの人が夢みて命をかけて辿り着きたいと思う場所。
写真で何度も何度も見た姿。
本当にここにあったんだ。
ずっとここから世界を見下ろしていたんだ。
あの場所には、エベレストに登ることを夢見て、命を落とした人が何人も眠っている。
死んでもずっとエベレストに抱かれ続けていられるなんて、なんて幸せな人達なんだろうと本気で思ってしまった。
私は雪山に登るほどの根性はない。
そんな道を選んでこなかったから技術も体力もないけど、もし別の人生を生きれるなら、山に登る道を選びたいと思った。
今まで登った軽い登山ですら、登りは辛くて「もう二度と登らない」と思いながらも、登りきった時の景色や清々しさ、山から見る夕日や星や朝日に心底感動した。
もしこのヒマラヤに、エベレストに自分の足で登ることができたら、そこでどんな気持ちを味わえるんだろう。
飛行機はエベレストの手前で旋回し帰っていく。
さよなら、エベレスト。
一目見ることが出来て本当によかった。
帰りは行きよりも山肌に近いところを飛んだ。
すごい迫力。
これだけでも2万円払って乗る価値があると思える景色だった。
そして私の隣には、2万円払ってチョコパンのチョコのとこだけかじってる人が。。。
朝から付き合わせてごめんね。
いつかもう一度自分で来るのだよ。
↓すべてはここから始まった。
ネパール旅行⑤さよならポカラ
ポカラ最後の日。
お昼のフライトに間に合うように時間を気にしながらだったけど、ワールドピースパゴダへ。
別名、日本山妙法寺。
日本の宗教団体が立てたストゥーパがある。
ホテルのツアーカウンターで車をお願いすると、サンライズツアーの時のドライバーさんとマヒンドラのスコーピオがやってきた。
息子は2回めのスコーピオに大喜び。
くねくねと山道を30分ほど走り、さらに10分ほど階段を登っていく。
ドライバーさんが荷物を持ってくれて、さらに息子も肩車してくれた。
身軽に目的地まで登っていくと、真っ青な空に映える白いストゥーパ。
フェワ湖に映る山とポカラの町。
そして、もうすっかり形と名前を覚えたヒマラヤの山々。
あまり時間がなかったので、胸いっぱい深呼吸をしてこの景色を目に焼き付ける。
何回見ても本当に美しくて雄大でかっこいい!
ポカラの空港に着くとやっぱり飛行機は遅れていた。
2階がカフェになっているらしく上がってみる。
もうこんなステキな景色は見られないと思っていたから、とっても得した気分になる。
飛行機の離発着を間近に見ながら、この景色の中でコーヒーを飲める。
こんな贅沢な待ち時間。
幸せすぎる。
たいしてVIPルームに感じるような部屋でもないし、だからBIPルームなのか。
帰りの飛行機も山が見える方の席に座ることができた。
さよなら、ポカラ。
絶対にまた来たい。
さてさて。
カトマンズでは2泊する予定。
何をしようかと旦那と話してはいたもののまだ何も決まっていない。
まったくのノープラン。
まだまだヒマラヤを見ていたい。
行こうか迷っていたナガルコットに行ってみようか。
車で1時間ちょっとくらいだし。
ナガルコットに行けば小さいけれどエベレストが見えるらしいし。
ただし天気によるからなー。
行っても見えなかったらすることがなさそうだしなー、、、
それに、ヒマラヤ山脈もポカラからの景色の方が近くて迫力があるみたいだし。
ポカラを見てしまった今、ナガルコットまで行くのもなー、、、
どうせなら確実にエベレストを見たいなー、、、
「こんな風に飛行機からエベレスト見れたらいいのに、、、
あっ!ポカラでも山の方にセスナが飛んでたりしたけど、あんな遊覧飛行カトマンズから出てないのかな?」
心の声が漏れ出た私に「俺も同じこと考えてた。」と旦那。
よし!
それ調べてみよう!
カトマンズではタメル地区のホテルに泊まった。
お土産屋さんや登山用品店、レストランやバーや安宿が集まっているところなので、旅行会社もたくさんあった。
だからすぐに見つかった。
エベレストフライト。
1時間。
1人約2万円。
少しのバラつきはあるもののだいたい同じくらいの値段。
2万円。
もしやと思って聞いてみたけど、息子ももちろん2万円。
た、たかい。
いや、本当なら何日もトレッキングをしてヒマラヤに入っていかないと見られないものを、飛行機でちょっと飛んで見られちゃうんだから安いのか?
せっかくネパールに来たのに見たいものを諦めるのか?
また来たいとは思っていても本当に来られるかは分からない。
でも。
でも、1人2万。
息子の分はほぼ捨て銭だし、1人3万。
6万。
6万かー、、、、
↓すべてはここから始まった。
その時歴史が動いた?!
11月8日の夜。
明日から、いや、数時間後から、500ルピー札と1000ルピー札が無効になる。
SNSを開くと見に飛び込んできたこの情報。
目の前の旦那にスマホの画面を見せながら「さすがにウソやんな?」と言った。
いきなりのことで、いきなりすぎて、もう笑うしかなかった。
2人で「さすがのインドも明日からってことはないやろ。」と言いながらもヤフーニュースで日本語の記事を見つけて唖然とする。
これ、ほんまや、、、
不思議なもので、英語の記事を読んでもあまり真実味がなかったけど、日本語で読んだ時の重みったらない。
そこから数時間。
すっかり目も冴えてしまい、友達とLINEやメールの嵐。
簡単にまとめると
・11月9日をもって500ルピー札と1000ルピー札の流通を禁止する。
・9日と10日は全インドの銀行もストップ。
・病院、空港での両替、公共の交通機関などはとりあえず旧紙幣も使える。
・旧紙幣は今年中に銀行で新紙幣に換金するか預金しないとただの紙切れになる。
・カードや電子マネーの決済、他の通貨はいつも通り使える。
・換金にはPANカードなどの身分証明(パスポート不可)がいるため旦那しかできない。
・換金や引き出しには上限がある。換金2,000~4,000ルピー。引き出し1週間20,000ルピーまで。預金は上限なし。
銀行が開くまで手持ちのお金で過ごすしかない。
クレジットカードはあるけど日本の口座にお金を入れられないから日本のお金は減る一方。
いつまでかも分からないし不安。
我が家のお金をかき集めても、使えない500ルピー札を省けばわずか400ルピー。約600円。
600円。。。
銀行が再開したところで全インド人が換金するのよ。
世界で人口2番目に多いインドよ。
約12億人よ。
銀行、1日何人対応できるの?
新紙幣は今一生懸命刷ってるところらしい。
何時間も銀行に並んだ挙句、もうお金ありませーんってなるのが目に見えてる。
ATMなんて普段からお金入ってなくてすぐ下ろせなくなるのに。
そしてATMで下ろそうとしたらしれっと旧紙幣出てきそうだし。
今日だって何人も並んで2人だけって、、、
明日からどうなるんだろう、、、
と思いつつも
「どうせインド。そんなこといいながらもゴリ押しすれば500ルピー札使えるやろ。だって店側だって売れなくなったら困るもんな。少し前に10ルピーコインが使えなくなった時も何だかんだ支払いに使えたし。明日お店側も混乱してるうちに買い物しとこ。」
そう思いながら寝た。
11月9日。
誰かに会えばもちろんこの話ばっかり。
会わなくてもLINEやメールで情報共有大会。
どこのお店は使えたとか使えなかった。
朝は使えたのに今もうダメになってる。
こんな対応してくれるとこあるよ!
道路の料金所がお金払えなくて大渋滞になってる!
などなど。
思っていたより厳しい!
ほんとにどこでも使えない。。。
私も何かに急かされて買い物にいく。
なんだろ、、、この焦り。
オイルショックの時に生きてたらトイレットペーパー買いに走ってたタイプだな。
そしてお会計で500ルピー出してみるけど絶対受け取ってくれない。
まじか、、、
日本人の経営してるお店の情報も入ってくる。
期間を設定して旧紙幣を使わせてくれるお店もあるんだけど、やっぱりほとんどはカード支払いしか無理。
もしくはツケ。
ツケって、、、。
これも日本人相手だからしてくれる対応なんだろうな、、、。
インド人にツケなんて絶対したくねーーー!
とりあえず分かったことは、本当にどこでも使えないということ。
これが現実。
そして明日から旦那は出張。
orz
↑初めてこれ使ったわ!!
そしてアメリカではトランプ大統領の誕生。
色々すごい1日だ。
数十年後、インドで暮らしていた者として『その時歴史が動いた』のオファーが来るのを待っています。
ちなみに道路の料金所は大渋滞&大混乱の挙句、無料で通行できるようになったそうです。
なんじゃそりゃ!!
↓すべてはここから始まった。
ネパール旅行④今日の始まり
早朝の空気はピンと張って冷たかった。
用意しておいた服に着替え身支度を整える。
持ち物も再確認。
息子はまだ夢の中。
寝ているまま着替えをさせた。
抱き上げると迷惑そうに少し目を開けてまた眠った。
時間は5時。
ホテルの中庭を通るとよりいっそう空気の冷たさを感じる。
ロビーには同じようにツアーに出かける人が何人もいる。
その雰囲気を察して息子が起きる。
車に乗り込み、まだ暗い町の中を走っていく。
息子のお気に入りだ。
まさかインドで見ているだけの車にネパールに来て乗れるなんて。
まだ眠そうな息子も嬉しそうににんまりと笑う。
だんだんと道が細くなり山道になっていく。
ホテルを出て40分程で駐車場についた。
ここからは徒歩だ。
急な石段を登っていく。
だんだんと一歩が重くなっていく。
荷物も重いが息子を抱いて登る旦那もしんどそうだ。
寒いと感じていたはずなのにだんだんと体が温まってくる。
目的地に着くと少しずつ空が明るくなり始めていた。
暗闇の中のヒマラヤは、昼間以上の存在感でそこにあった。
東の空が少しずつ少しずつ赤く染まっていく。
山もだんだんと白んだ空に浮かび上がってくる。
そしていよいよ。
まずは一番高いアンナプルナ1峰に今日一番初めの光があたる。
左から2番目に赤く染まる山がアンナプルナ1峰(8,016m)。
左はアンナプルナ・サウス(7,216m)。
標高の高い順に少しずつ朝を迎えていく。
アンナプルナ2峰(7,937m)
アンナプルナ4峰(7,525m)
マチャプチャレ(6,993m)
刻刻と変わっていく色。
何千年、何万年、山々はこうして朝を迎えてきたのだ。
私の何十年なんて、なんてちっぽけなんだろう。
そして私の何十年がどれだけわずかで貴重なものなのだろう。
一日一日、大切に朝を迎えよう。
↓すべてはここから始まった。
大胆モディちゃん♡(・ω<) テヘペロ
ネパール旅行の続きを書こうかなーっとスマホを手にし、何気にSNSを開く。
画面をスクロールしているとある投稿が目に止まる。
「明日から500ルピー札と1000ルピー札は使えません。」
はい??
はいはいはい。
ガセですね。
今日はエイプリルフールかな?
インド首相「高額紙幣、4時間後に無効」 混乱は必至 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
ヤフーニュースで日本でも記事になってる!
いやん、これホ・ン・トのやつ♡
日本国において、「明日から1000円札と5000円札使えませーん。」とかある?
ないよな。
てか世界どこの国でもないわ!
明日って何やねん!
4時間後って何やねん!
その後銀行閉まるとか何やねん!!
100ルピー札、旦那と合わせても4枚しかなかったわ!
旧紙幣の回収とか入れ替えって2ヶ月やそこらでするものじゃないですよね?
ゆっくりと夏目さんから野口さんになりましたもんね?
日本では考えられないくらいボロボロの紙幣が回ってくるインド。
お店で受け取ってもらえなくてましな紙幣に挟んでこそっと払ったり、レストランとかの支払いのときに出して何か言われる前に置いて逃げたり、全国民ババ抜き大会が絶賛開催中のインド。
ここにきてさらにババが増えたもようです。
明日からどんなことが起こるんやろ。。。
とりあえずゴリ押しで500ルピー札をさばいていこ。
いくらインドでもさ。
ネタにも程があるわ!
Your Money Will Remain Yours: PM Modi Explains End Of 500, 1000 Rupee Notes - NDTV.com
↓すべてはここから始まった。
ネパール旅行③お散歩不足解消
インドではドライバーさんのいる生活なので、外を歩くことがほとんど無い。
歩きたくても、歩道がないとこ多い、砂埃がすごい、牛と豚と犬が邪魔、車もバイクもオートリキシャも運転が荒い。
こんなんじゃお散歩なんて出来たもんじゃない。
マンション内のスーパーへ行くのですら、遠いと感じるひ弱い足腰を絶賛育成中である。
ポカラでは空気もよく、景色もいい。
ベストシーズンで天気もいいし、日中は日向にいると暑いけど日陰に入ると涼しくてちょうどいい。
薄手のパーカーを一枚持っていれば、Tシャツで一日中ぶらぶらできた。
ホテルから2キロ程の距離にあるパタレチャンゴという滝を見にお散歩。
お隣の国だから、やってる事はあまり変わりないのね。
牛もいたけど、コブがあって喉がビロビロのインドの牛とは違って可愛らしかった。
コカコーラもヒマラヤ仕様。
あれ?デジャブかな?
電線のぐちゃぐちゃ具合もインドと同じ。
看板って作るの最後じゃね?
インドと同じようなところもあるけど、空気がキレイ、クラクションが鳴ってない。
ただこれだけで全然ストレス度が違う。
とりあえず、クラクション鳴らしまくるのやめようか、インド人。
パタレチャンゴまで息子の寄り道に付き合いながら、のらりくらりと歩いた。
奇妙な地形に流れる水。
こうして水に削られ大地が押し上げられてヒマラヤ山脈が出来ていったのかな。
パタレチャンゴの近くにある鍾乳洞。
パタレチャンゴの滝が下から見えると聞いて長い暗い階段を下りたのに閉まっていた。
ポカラにはフェワ湖という湖がある。
そのほとりがレイクサイドと呼ばれお土産屋さんやレストラン、ホテルなどが立ち並んでいて賑わっているエリア。
日本食レストランも何軒もあった。
お土産を見ながらゆっくりお散歩。
カフェでお茶をしたり。
ちょうどティハーンのいうお祭りの真っ只中で、ダンスをしている人だかりをよく見かけた。
湖畔でのーんびり空を見たり。
優しい時間。
国際山岳博物館。
ヒマラヤの写真や登山家の展示物、先日亡くなられた田部井淳子さんの展示物もあった。
世界で初めての女性エベレスト登頂が日本人だったなんて最近まで知らなかったな。
ほんとはじっくり見たかったけど、大きな声で走り回ってしまう息子を騙し騙し早足で見て終わってしまった。
ここからの景色も美しかった。
日頃の運動不足に足の色んなところが痛くなったけど、それも心地いい。
インドで生活してる1年分くらい歩いたかな。
↓すべてはここから始まった。