マブダチになる瞬間 子連れウズベキスタン旅行記②
8月17日(土)
2日目。
息子に起こされて目が覚める。
解熱剤のおかげでしっかり寝れたのか、昨日より覇気のある顔をしてご機嫌そう。
「昨日タクシーのおじさん、ホスピタルのことゴスピタルて言うて、ほんでポーニョポーニョ言うてたなぁ!ギャハハハハ」
朝からこの話でずーーっと笑ってる。
でもまだ熱はある。
どうしようか悩んで、最悪捨てることになってもいいから明日の電車を予約し直そうかということに。
もともとは、タシュケント→ブハラ→サマルカンド→タシュケントと、電車でまわる予定をしていた。
それを、タシュケント→サマルカンド→タシュケントに変更しよう。
SIMカードもなんでか使えるようになってたので、フロントの人の協力のもと電話かけさせてもらって自分の電話番号をゲット。
これでタクシーのアプリも使えるー!
朝ごはんのあと、タシュケントの駅に明日の電車のチケットを取りに行く。
アプリも使い方簡単で分かりやすく、すぐにタクシーが来た。
駅も近いしラクショー!と思っていた。
が、しかし。。。
地図上でゴールに指定したところから確かに駅の建物は見えるものの、駅の入口ではなくただの路肩。
「ここでいいのか?」
いや、ロシア語だからまったく意味は分からないんだけど、そんな感じで振り向く運転手のおじさん。
「ステーションに行きたいの。トレイン、トレイン。ステーション。」
「ДМХеддЭЩздбьΑяыьф?」
あかん、全然通じてないわ。
トレイン、ステーションもあかんのか、、、
逆におじさんからしたら、簡単なロシア語なのに通じなくて困ってるんだろうな。
タシュケントの駅について事前に調べてはいた。
それによると主要な駅が2つあってチケットによって出発の駅が違ったりするそうな。
チケットの手続きをしたい私たちが行くべき駅はこっちだと思ってたけど違うのか?
「НФаδеШδ??θЩяДΑфΑМ?」
何か聞いてくれてるおじさん。
この時代でよかった!
スマホの翻訳アプリを音声モードにして渡す。
めちゃめちゃ長く喋ってくれて、途中で消えたりしちゃったけど、要約すると「どこに行きたいんだ?」と聞いてくれていた。
「駅!電車のチケット!」とロシア語に翻訳するけどいまいち伝わってない。
「дХзθЬбШШサマルカンドВЛННьЬЛЬШ!」
ん?今サマルカンドって言った?
「イエスイエス!サマルカンド!サマルカンドにGOするトレイン!」
また音声モードでスマホを渡すと、翻訳アプリが「それはもうひとつの方の駅です。あなたは間違った方に来た。」とな。
うぉー!伝わったーー!!
んだよね??
若干の不安もありつつ、おじさんを信じてもうひとつの方の駅まで連れてもらう。
その間に、昨日の「ポーニョ」が知りたくて調べてみると、ロシア語で「わかりました」って意味だった。
へー!これは覚えとこう!
無事に駅に到着。
タシケント・ユーニイー
https://maps.app.goo.gl/aSJdpe1JE1xdkvys7
駅に向かって右側にある、この建物でチケットの取り扱いをしている。
※違う方の駅でもチケット買えるんだろうか?その辺は不明。
中に入るとインフォメーション的なのがあったので、予めロシア語に翻訳しておいたスマホ画面を見せる。
「タシュケントからサマルカンドへ行く明日の電車を予約したい。」
すると、反対側に並んでいる窓口の番号を教えてくれて、そこで買えるとのこと。
言われた窓口に並び、順番を待って、また翻訳した画面を見せる。
電車の時間も調べてきてたので文字で打って見せ、後ろでチョロチョロしてる息子と旦那を指さし、「3人!3人!」とアピール。
すぐに伝わって、スムーズに明日のチケットGET!!
その電車に乗るには何時に駅に来るべきか、隣の建物に直接行ったら駅のホーム入れるのかなども、抜かりなく聞けた。
え?楽勝すぎてビックリしてますけど?
翻訳アプリありがとう!
電車のチケットは旅行前にネットで調べたりして自分で手配していた。
その時に目にしたサイトやブログによると、電車の予約はすぐ埋まってしまうので当日では取るのが難しいとのこと。
今日の朝乗るはずだった電車の分は、ネットからキャンセルを試みたけど無理だった。
本当なら明日乗る予定だった、ブハラ→サマルカンドの電車も、私たちの予約してるせいで乗りたいのに乗れない人がいたら心苦しいなぁという思いがあって、キャンセル出来ないか聞いてみた。
その電車のEチケットと「キャンセルしたい」というロシア語に翻訳した画面を見せる。
うんうんと頷きながらパソコンを操作する窓口のお姉さん。
そしてロシア語に少しの英語を混ぜつつ何やら説明してくれる。
が、なーんにも分からない私。
お姉さんは困った顔をして「○番窓口に行って」と、そっちの方に指をさして教えてくれた。
そしたら恰幅のいいおじさんがその窓口に来てくれた。
上手な英語だけど、それはそれで分からない私。
ご、ごめんなさい。
私、英語ができるわけでは無いんです。。。
何となくわかったのは、キャンセルした分は払い戻しができること、プラスチックがなんとかかんとか。
払い戻しをしてほしかった訳じゃなかったけど、直前のキャンセルなのに返してくれるなんてありがたい。
どうやら一生懸命言ってくれてるのは払い戻しの方法。
話の中に、カード、プラスチックというワードが出てくるんだけど、なんの事かさっぱり分からない。
いや、文章としては分かるんだけど、翻訳してみても「それはプラスチックに戻ります」とかになって、意味が分からない。
現金で返してくれないの?
クオカードみたいなんで支払われるの?
窓口から出てきて、ジェスチャーやらも交えて説明してくれるおじさん。
そのうちにだんだん説明してくれる人が増えて、みんな口々に「プラスチック、プラスチック」って言ってくる。
払い戻しと素材の名称に何の関係があるんだー?!
かれこれ10分くらいプラスチックと連呼されてる。
分からなすぎて笑えてきたー。
こっちも向こうも苦笑いしてると、ふと旦那が「ていうか、そもそもお金ってもう払ってたん?」と聞いてきた。
えー?どうやったっけ?
正直、毎日バタバタしながら、予約関係もしてたから細かいこと覚えてないなぁ。
いや、ん?待てよ。
オンライン予約の時にカード番号入れたな、そういえば。
支払いに使いたいカードがMasterCardで、でもVISAしかダメってなってたよなぁ?
そのことは旦那も覚えてた。
てことはやっぱりお金は支払ってるから、払い戻しされるというのは間違ってな、、、、、
あーーーーーーー!!!!!
そういうこと?!
その時、入力したVISAカードに払い戻されるよってこと?
困った笑顔で悩んでくれてるおじさんの方に勢いよく振り向いて「クレジットカード?!」と軽く叫んだ。
旦那が「そういえばクレジットカードとかのことプラスチックって言う国あるかも!」と。
なんだそりゃー!!
周りを囲んで一緒に悩んでくれてた人たちも「お?伝わったのか?!」って空気になってる。
覚えたてのロシア語で「ポーニョ!ポーニョ!!」って言ったら、みんなパーッと笑顔になって軽く拍手が起こった。
おじさんとバチッと目が合う。
一歩二歩、自然とお互いに歩み寄る。
パーーーーン!!
その瞬間の私とおじさんは、完全に、完っ全に桜木と流川だった。
こんなにナチュラルで、こんなに熱いハイタッチ、人生になかなか無いぞ。
お互いに、“伝わった”という達成感が自然とそうさせた。
コミュニケーションって言葉以上のものがあるよね。
もう親友って呼んでいいよね?
やるべき事ができて、気持ちも爽快。
息子も薬が効いてるおかげで熱はなく、元気に走っている。
よし!
本当なら昨日やりたかったこと。
地下鉄に乗りにちょっとだけ行ってみようか!
地下鉄?なんで?
どこの国行ってもメトロ乗って、好きだねーって思った方。
“タシュケント 地下鉄”でぜひぜひググっていただきたい。
今回の“地下鉄乗りたい”は息子のアクティビティとは違うんです。
駅がそれぞれめちゃくちゃ凝っててすごい美しいらしい。
軍事施設も兼ねてたらしく撮影禁止だったのが、去年くらいから解禁されてるとのこと。
タクシーで移動してタシュケント駅から地下鉄に乗る。
地下に下りると切符売り場がある。
どこまで乗っても大人1人1400スム(約15円)
途中で乗り換えて違うラインに乗っても一律1400スム。
やっすーーー!
子供は何歳からいるのか分からないけど、6歳の息子はいらないと言われた。
おもちゃのコインみたいなトークン。
切符売り場の横の、何とも言えない雰囲気の入口を入る。
※写真は出口だけど、、、
するとこんな改札があって、そこにトークンを入れる。
入る時に入れたら出る時は何もしないでそのまま出れる。
だから、トークン買ってすぐ改札だから、トークン持ってるのほんの一瞬。
なんかもっと効率よくできそうよね。。。
いよいよ駅のホーム。
美術館の入口みたい。
わくわく。
こんなところに電車が入ってくる。
なんか変な感じ。
ほんとに美術館をそのまま駅にしたみたい。
車内の暗めの雰囲気がソ連感あって、またわくわくさせてくれる。
他の駅もそれぞれに全然違う雰囲気でステキだった。
地下鉄で向かった先はチョルスーバザール。
チョルスー・バザール
https://maps.app.goo.gl/V1AncodvGHiXyimq7
駅から出たらすぐに露店がたくさん。
めっちゃくちゃ広い。
野菜、果物、肉、日用品、宝石店、、、
ほんとになーーーんでもある。
グッチとルイヴィトンの袋もあるんだからね!
進んでいくとこんな建物があった。
中は肉屋さんばっかり。
息子が疲れてきたのでアイス休憩。
ついでにこれ食べてみる。
羊肉って苦手だったけど、これはめっちゃ美味しかった。
新鮮なんだろうなー。
シャシリクっていうらしい。
この大きなパンがどこにでも売ってて、シャシリクを食べたお店でも出してくれた。
パンも美味しい。
まだ病み上がってない息子が疲れてきたので、早々に撤収。
ホテルに戻る途中でお昼を食べようと、さっきとは違う駅で降りて、メトロの駅からはタクシーで調べたレストランへ向かう。
タクシーはもちろんアプリで。
アプリだと料金もわかりやすいし助かるわー。
結構乗ったなと思っても100円もしなかったりする。
ただ、、、
やはりアプリで呼ぶタクシーは、駅や空港にいるタクシーと違ってバリバリ現地の人だから英語がほんと通じない。
レストランを通りすぎたから「ストップ!」って言ったけど、それが通じない。
「え?何?」ってそのまま過ぎていっちゃった。
ストップも通じないかー。。。
道順は指させば伝わるんだけど、ストップ通じなかったらどうしよか(笑)
ご飯食べたあとは、ホテルに帰って昼寝したり、各々YouTube見たりのーんびりする。
まだ熱が下がりきらない息子。
熱が上がってきても、普段通りの元気さは取り戻してるんだけどなぁ。
今晩、明日の朝の様子を見て、あとはなるようにしかならないか。
夜はSushi Bar "Yaposha"へ食べに行ってみる。
https://maps.app.goo.gl/eMcqzqARG1G2RhQVA
お寿司は別に特別不味くも美味しくもないんだけど、醤油が、、、、甘い。
醤油のせいで台無しになっとる。
うどん、なにこれ?(笑)
このお店で1番美味しかったのは、アイスで頼んだはずなのにホットで出てきたジャスミンティーでした。
↓すべてはここから始まった。
親失格?! 子連れウズベキスタン旅行記①
インド駐在ラストの旅行は、私のたっての希望でウズベキスタンへ。
帰国間近の旅行だったから忙しくてなかなか書けなかったけど、そろそろ書き残しておこう。
8月16日(金)
1日目。
飛行機は朝の便。
チェンナイ旅行のようにはなるまいと、何度も目覚ましを確認した。
日付はあってる?よし!
曜日設定は?大丈夫!
音も優しい音じゃなくて、けたたましくピピピピいうやつにした。
引越し荷物を船便・航空便とやっと出し終わって、カバリに出す物と捨てる物と旅行の用意とでぐっちゃぐちゃの家の中。
帰って物がなくなってても到底気付けないような状態だけど、、、ま、いっか。
アラーム通りにちゃんと起きて、パスポートとスマホと日本で替えてきたドルもちゃんと持った。
よし!行ってきまーす!
空港へも時間通りに着き、中に入る。
掲示板でチェックインカウンターを確認して向かうと。
「わぉ!」
めっちゃ並んでる。。。
朝早かったこと。
前回の一時帰国でジェットキッズが壊れたので、いつもならジェットキッズに乗ってスーイスーイと移動してたのが、たくさん歩いたり立って待ったりしないといけなくなったこと。
そのせいか、息子はずっと不機嫌で「疲れた。しんどい。」と言い、いつも以上に並ぶのにグズグズ言っていた。
座り込んだり、ちょろちょろしたり、いつもより注意する場面もあった。
イミグレーションもそこそこ混んでいて、ゆっくりする暇もなく搭乗ゲートへ向かう。
そしてすぐに飛行機へ。
出発してそんなに時間が経たないうちに、息子はめずらしく「寝る」と言って横になり眠った。
朝早かったしなーと思いつつ、うっすら汗ばんだ息子の額の汗を手で拭ってやった。
ん???
まさかな。
と思ってもう1回。
ん?!
あ、、、これあかんわ。
私の手のひらから感じた息子の体温。
「んー、これは多分39度いっとるな、、、」
確かに。。。
チェックインに並んでる時。
イミグレまで抱っこと言われて抱いた時。
私の手のひらは「ちょーっといつもより体温高めやけど、、、気にする程じゃないか」と感じていた。
気にして何回か触ったけど、上がってる感じもなかったし、繋いだ手もそんなに熱くなかったし、、、
まじか、、、
熱が上がるところでほんまにしんどかったんや。
ごめん、ほんまにごめん。。。
幸か不幸かすでに飛行機は飛んでしまっている。
とりあえず、着いたらホテルでゆっくりして様子見るしかないな。。。
フライトは約3時間。
乗り継ぎで国内線に乗る人の方が多いらしく、タシュケント空港の出口へ行こうとするといちいち「タシュケント?」って聞かれる。
そんな分かれ道を何回か通り過ぎると綺麗なイミグレーションに出た。
イミグレーションは並んでる人もほとんどなく、仕事もそこそこ早くて、スムーズにウズベキスタンに入国。
預け荷物も無事受け取る。
旦那は、両替とSIMカードを買いにカウンターへ。
着陸前に起きた息子は、それを待ってる間にベンチでまた寝始めた。
普段昼寝もめったにしないし、夜も放っておいたら何時まででも起きてられる息子が、こんなに寝るなんて、、、
可哀想に。
SIMカード2枚欲しいのに1枚しかないと言われ、でも結局あったとかなんとか、インド的な仕事っぷりで時間がかかったけど、なんとかSIMカードGET。
インドの日常をこなしてるおかげで、こういう時、無になって待つという技が使える。
空港を出るとホテルで手配してた送迎が待っていてくれた。
インドと同じく、乾燥してる夏の暑さを想像して覚悟はしてたけど、それほどの暑さでもなく風が気持ちよく吹いていた。
街中はゴミもなくきれいで、高い建物も少なく素朴な感じ。
古いデザインのかっこいい車がたくさん走っていて、なんとも言えない旧ソ連圏の雰囲気に異国を感じてテンションが上がる。
ホテルはこちら。
HUA HOTEL
https://maps.app.goo.gl/FvQnb23a527QAmLfA
チェックインの時間より前だったけど、すぐに部屋に入れてもらえて一安心。
フロントの人にウズベキスタンのUVER的なアプリも教えてもらってインストール。
ただ、何故かSIMカードが“緊急連絡のみ”になってて使えない。
待つしかないのか、、、
息子はというと、熱は変わらず高そうだけど、持ってきたソーセージやパンなど普通に食べた。
食欲は普通な様子。
さて、どうしよう。。。
本当なら、明日朝イチの電車でブハラに行く予定だった。
現在、お昼前。
とりあえず、どっちになっても息子の朝ごはんになりそうなものや、ちょっとつまめるものはいるだろうと、旦那が1人でホテルの並びにあったお店を見に出た。
窓からはのんびりした風景。
窓を開けると気持ちいい風が入ってくる。
息子のおでこに濡らしたハンドタオルを当ててやりつつ、息子はYouTubeを見ている。
年に1回熱出すか出さないかレベルの息子。
冷えピタは嫌いな息子。
タオルを気持ちよさそうに当ててる姿がなんか新鮮で、不謹慎だけどちょっと可愛いかった。
とはいえ、熱は下がる様子がない。
なんならこれから夕方にかけてまた上がるんだろうな。。。
ブハラ。
行きたかったけど、やっぱり無理か。
諦めろ、私!
ジュースやちょっとしたお菓子などを買って戻ってきた旦那と「とりあえず明日はあかんな。ウェルビー(インドでお世話になってる、病院の通訳や手続きしてくれる会社)に連絡して病院聞いてみるかー。あと、ここのホテルに延泊伝えるのと、明日のホテルのキャンセルしよ。」と会議。
まずはウェルビーに電話。
未だウズベキスタンのSIMカードが使えないので、旦那の日本のSIMを使う。
ウェルビーのサービスはないだろうなとは思いつつ、旅行先からも連絡できるとは書いてあるので完全にダメ元。
案の定、ウズベキスタンではインドのようなサービスはないとのこと。
ただ、時間はかかるけど病院を調べてアポを取ることはできるらしく、お願いすることができた!
よかったー!
探してもらうのに1時間以上はかかると言われ、私達も朝早かったし、連日の片付けやバタバタで疲れていたし、全員で仮眠することに。
息子は今日の大半を寝て過ごしている。
何回もになるけど、ほんと寝ない子で手を焼いてきただけに、“よく寝る”というだけで心配が倍増。
代われるもんなら代わってやりたいってほんとに思う。
ウトウトしていたところに電話の音で目が覚める。
ウェルビーからだ!
診てくれる病院が見つかったらしく、病院の名前を教えてくれた。
電話が使えないのと電池が少ないのが不安だけど、とりあえず行くしかない!
ホテルの人にタクシーを呼んでもらって病院へ向かう。
が、、、
まじでまじでまじで、英語が通じない。
ロシア語かウズベキスタン語。
のみ!
笑えるくらい通じない。
Googleマップが示すのとは違う方向に進んでるから必死に伝えるけど分からない様子。
私「ホスピタル!(息子を指さしながら)フィーバー!フィーバー!」
タクシー「???ゴスピタル?ЁХФЩЮЯЛИДДВНФМ?」
私「(デコに手を当てるジェスチャーをして)フィーバー!ベリーハイ!フィーバー!分かる?」
タクシー「ポーニョポーニョポニョ!θδШбдаЭезЬЩЭбеЩ!」
私「え?ポニョ?魚の?笑」
タクシー「ポーニョ!ポーニョ!」
通じなさすぎて、高熱出してる息子もゲラゲラ笑っていた。
いや、笑い事ちゃうねん。
明らかに「違うよ!」って路地に入って行ったりしながら、そのたび軌道修正して、ここであろうという場所にたどり着いた。
が、、、
え?病院らしきものはない。
あるのは何となく物々しい雰囲気の塀。
※写真はGoogleマップより
入口は1つだけあったけど、何も書かれてないし頑丈そうな鉄の扉で、病院ではなさそう。
あたりを行ったりきたり、タクシーのおじさんに頼んで、周りの人に聞いてもらう。
でも誰も知らない。
さすがに自分の店の目の前にあるのが病院って知らないわけないよね。。。
Googleさんもインド並みか、、、
全然違う場所なんか、、、
と絶望しかけたその時。
その1つしかないゲートから出てきた女の人とバチッと目が合う!
ウェルビー関係者か?!
何となくピンと来た私は息子の名前を何回も言ってみた。
お!頷いてる!
これやー!!
タクシーのおじさんに、とりあえず覚えといたロシア語、「スパシーバ!スパシーバ!ありがとー!」と言ってタクシーを降り、ゲートを入った。
さっきの女の人が、管理人みたいな人に何やら言うてくれて、中の建物に案内される。
中はめーっちゃキレイ。
受付の人も英語が通じる。
書類に色々記入をして、息子の体温や体重やらを測ってもらう。
体温も分からぬままだったので聞くと、39.3度。
「やっぱりなー。久々に高熱、しんどかったよなー。お薬もらってはやく治そうな。もう大丈夫やしなー。」
話しながら待ってると、ハイヒールにヒラヒラしたミニスカワンピを着た、全盛期のキャメロン・ディアスみたいな美女が現れる。
言われるままに着いていくとそこは診察室。
その美女が聴診器を持った。
「えー!この人がお医者さん?!」
妖精すぎてビビる。
息子も若干ニヤニヤしながら、診察を受けてる。
そらそうや、こんな美女見たことないもんな。
ロシア系の美女、本気のお人形さんやん。
綺麗な英語で色々質問もされ、診察が終わる。
「多分普通の風邪だと思うわ。食欲も排泄もちゃんと出来てるみたいだし、触って痛いところもなさそう。しっかり水分を取ってどんどん排尿して。解熱剤は飲ませたの?え?持ってない?旅行だって薬は持ってくるべきよ。なぜ持ってきてないの??」
さっきまで「めっちゃキレイやん。同じ人間なのが恥ずかしいレベルやな。」とかコソコソ言ってた私たち。
夫婦揃って軽く怒られる。
「明日熱が下がれば旅行を続けて大丈夫よ。熱が下がらなかったら検査するからまた来てね。」
薬の飲み方もすごく丁寧に分かりやすく教えてもらった。
最後に飴を2つもらって、急にめっちゃ元気になった息子。
私たちもほっと一安心。
タシケント・インターナショナル・クリニック
https://maps.app.goo.gl/NbbeP9bKrP8E437Q6
入口はこっち側!
https://maps.app.goo.gl/j5GKMaHyXjuvJoks8
お世話にならない方がいいけど、なる時がもしきたらご参考までに。
相変わらず電話が使えないので、ゲートの人にタクシーを呼んでもらってホテルへ。
今度は行先もちゃんと伝えてもらったからスムーズに帰れた。
解熱剤を飲ませるにも体温計はあった方がいいよねってことになり、ホテルの近くの薬局的なところを私一人で巡ってみる。
やっぱりどこのお店に入っても、英語はまーったく役立たず。
よし!ここは、インドのローカルマーケットで培った、秘技「Google検索 画像見せ!」
少なくとも20年以上ぶりに見た水銀のやつをGET。
ホテル併設のレストランすらも英語が通じなすぎて笑けたけど、なんとか晩ご飯も食べれて、解熱剤も飲ませて、明日のことはあまり考えないように早々に寝た。
長い長い一日だった。
↓すべてはここから始まった。
インドから追い出された私
インドを去る時。
引越しや諸々の手続き、送別会の日々。
そんな忙しさの中で体調不良になる。
帰国のフライトが何らかのトラブルでキャンセルになる。
などなど。
インドの神様が「帰らないで。行かないで。まだここにいればいいじゃない。」
そんな風に、あの手この手で引き止められるような出来事が起こる人を、今までたくさん見てきた。
私も最後にドカンと何かが来るんじゃ、、、と少し身構えていた。
そして密かに、「こんなにインド楽しんで好きになったんだから、私もインドの神様に引き止められちゃうなー。困ったなー。ニヤニヤ」っていう気持ちもあった。
結論から言うと、私は帰国1ヶ月前くらいに軽い風邪程度の体調不良。
息子は珍しく高熱を出したけど(後日のブログに書くつもりだけど)、何とか乗り越えられた。
これは本当にありがたいこと。
でもね、ちょっとね。ちょっとだけ寂しかったの。
なんでかって。。。
・エアインディアの運休
いつも一時帰国に使っていたエアインディア。
関西に実家がある私は、デリー発、香港経由、関空行きが一番便利だった。
どこかで乗り継ぐのも、成田で国内線に乗り換えるのも、子連れプラス大量の荷物では想像するだけで大変。
JALやANAを使うみんなは、ほんとよくやってるなぁと頭が上がらない。
香港経由は、香港に降り立つものの飛行機からは出なくていい。
息子が寝てたらそのまま機内で寝かせてられるし。
起きていてもガソリン入れるところが見れたりトーイングトラクターが荷物を上げ下ろしするのが見れたり、空港の作業の見学を楽しんでいた。
インドの人がほとんどだから、ウロウロして落ち着かなかったり、やかましかったり、息子を可愛がってくれるのはいいけど寝そうになってるのにかまわれすぎたり。
トイレも早めに行っとかないとめっちゃ汚れてるし、そもそもドアが壊れてるとか。
座席の画面横に付いてるUSBの挿すところが9割の席が壊れてて、壊れてない席に当たると「よっしゃー!充電できる!」って声に出てしまいそうなくらい。
まぁそれを差し引いても、子連れには助かる便だった。
それが、この路線、9月の半ばで運休になるらしい。
私たちが帰るのを見届けてからのような、まさかのタイミング。
・ゴルフコースロードのメトロ廃止
週に1回はメトロを利用してた私。
息子もメトロに乗るのが大好きで、2週間に1回は旦那とメトロ旅に出ていた。
そんな散々乗ってたメトロ。
採算が取れず廃止になったらしい。
英語のニュースだったから、廃止かしばらくお休みなのかよく分からないけど、とりあえず乗れないことには変わりない。
確かにゴルフコースロードの路線はいつも空いてたもんなー。
息子の娯楽もこのタイミングでなくなった。
・グルガオンのアトリエモンなくなる
私のブログにコメントしてくれた人の記事を何気なく読んでたら、目に飛び込んできたこの情報。
知った時の衝撃ったらなかった。
モガさん(デリーの日本人御用達のジュエリーショップ)まで行くには遠いけど、アトリエモンなら空いた時間にちょろっと見に行ける。
行くたびに新しいのが置いてあって、もちろんオーダーもできて。
セールとかもたまにやってて、行ったらほぼ全員友達だったこともあった。笑
日本でもアウトレットによく入ってるようなブランド(疎くて名前わからん)にも、ここで作ったのを卸しているとかいないとか。
分かりにくい建物も、白いゲートも思い出深いのになぁ。
・レゴカフェの有料化
サウスポイントモールにあった、レゴで遊べるカフェ。
以前はカフェで飲み食いするお金だけで子供は無料で遊べてた。
毎週土曜はこのモール内にある息子の習い事が終わるのを待ってる間、いつも199ルピーのカプチーノを飲んで待ち、習い事が終わった息子は昼過ぎまでここで遊び、ランチもし。
友達ともよく合流して、ここで旦那が仕事でいない休日を過ごした。
途中からキッズランチメニューも出来て、しかもレゴのおもちゃ付きで。
おもちゃの袋に貼ってある値段が、キッズランチの値段と一緒で、どこで採算とってるの?むしろマイナスじゃね?と、友達とも心配していた矢先。
帰国が決まって、息子も習い事のモチベーションが下がってしまい、私も終わりが見えてるし帰国準備で忙しいのに息子をやる気にさせるのが面倒くさくなってしまい、レゴカフェの有料化も追い打ちをかけて、このモールにあまり行かなくなってしまった。
一番レゴカフェにお世話になった客かもしれない、まじで。
更には日本側も、このタイミングの帰国がウェルカムに感じる出来事。
・10月から増税
帰ったら買わないといけない物がたーくさん。
日用品に調味料など食品全般。
息子も成長してるし家具も必要なものがあるだろう。
大きいところでは車も買わないといけない。
車なんて人生で何回あるかなっていう大きな買い物。
消費税が数パーセント上がったら、お財布への攻撃力もめちゃめちゃ上がる。
ギリギリ増税前に買えるタイミングの帰国。
・10月から幼稚園無償化
これもまさかのタイミング。
日本のニュースをあまり見てなかったせいで、勝手に嬉しいサプライズだった。
待機児童の問題とか、まだまだ日本の子育て環境は改善しないといけないことがいっぱいあるんだろうけど、これは助かる。
・お世話になってた美容師さんが独立
インドに行く前、家の近くでお世話になってた美容師さん。
息子も初めてのプロの散髪はそこだった。
インドに行ってからは、実家の近くでいい所を見つけてご機嫌に通ってたけど、実家はお隣の県だしこれからどうしようかなー。。。と、思っていたら!
帰国する少し前に独立してお店を始めたとな!
開店キャンペーン期間中にやってもらえてラッキー。
これからもよろしくお願いします。
と、まぁ、こんな感じで色んなタイミングがびっくりな程被っていた。
たまたまと言えばそうなんだけど、私には「「はよお前は日本に帰れ」」とインドの神様からも日本の神様からも言われてるような気がして、ほんのちょーっぴり寂しかった。
とはいえ。
元気に送り出してくれてありがとう、インドの神様。
↓すべてはここから始まった。
インドもたくさん神様がいる国。#インドの神様#ガネーシャ#シヴァ神#ハヌマーン#ブラフマー#後は知らん#インド#India#インドの神様に送り出された話#ブログ更新
あばよ、相棒
インド駐在最後の大仕事と言えば、カバリオークション。
オークションを仕切ってくれるカバリ業者さんに頼んで、家でガレージセールをオークション形式でやるというもの。
カバリの業者さんが「この日この家でこんなもん売るよー」って広告出してくれて、業者や個人のインド人がたくさん家にやってくる。
意外なものも高値で売れたりして、最後の総精算。
日本でお金払ってゴミとして出すものが再利用されたりお金になるならラッキー!と、一時帰国の時に、使わなくなった売れそうな物やその外箱を運んでおいたりしていた。
(中古品でも箱があるだけで高値になったりする)
インドならではのハプニングやトラブルも付き物だけど、最後の一大イベントとしてたいていの日本人はカバリをやって帰ります。
※カバリのコツやノウハウは、情報を上手にまとめたブログがたくさんヒットすると思うので、これからやる人はググることをおすすめします。
我が家のカバリ当日。
たくさんのお友達にお手伝いに来てもらって、業者さんも来て、出す物の仕分けや部屋のレイアウトを変えて、いざスタート。
の前に、お決まりの「カバリをやる許可をオーナーとマンションの管理室から貰ってるのかどうか」で一瞬ごちゃっとしたけど。
うん、そうなるって知ってた。
開始時間の前からインド人のお客さんが集まりだし、無事に時間通りスタート。
こんな感じで、商品側とお客さん側を完全にテーブルで仕切って商品を盗られたりしないように。
お金の管理、商品の管理ノートも日本人サイド何人かで、ちゃんと受け取ったか、お釣りを渡したか、などきちんとチェック。
我が家は変圧器を持ってきてなかったので、生活に使ってた家電のほとんどがインドで買ったものだった。
トースター、ノンフライヤー、コーヒーメーカー、炊飯器、加湿器、ドライヤーなどの家電。
あとは、古いスマホ、デジカメ、スピーカー、スーツケース、衣装ケースや収納、服や靴やキッチン用品、おもちゃなどなど。
その中でも一番思い入れがあって、私のインド生活を豊かにしてくれた子。
ミシン。
なのに、よく考えたらちゃんと写真撮ったこともなく、インスタに見切れてるのがあったくらいだったー。。。
ちょっとショック。
この子も最後はカバリでお別れするつもりで買っていたから、箱も備品もキレイに取っておいていた。
そしたらなんと!
我が家の最高売上額を叩き出してくれました。
高く売れたらいいなと思いながらも、インドではテーラーさんで安く服をオーダーできるから、自分で作る人なんてあんまりいないだろうし、需要ないかなぁ、、、なんて思っていたのに!
巡り巡って大事にしてくれる人のところに行ってくれたらいいな。
「あばよ、相棒。」
そして、もう1つの相棒。
覚えている人がどれだけいるでしょう?
私の過去をご存知ない方はこちら↑の記事をどうぞ。
そう、あのウィッグ。
まだ我が家にあったのです。
売れる気はしなかったけど、ゴミみたいな使いかけの化粧品とかでもまとめて売れると聞いてたので出してみた。
案の定、売りに出たけど誰からも手が上がらず。
「なんでこんなもんが?!」ってみんな笑ってるけど、全く売れる気配はない。
確かに、、、
日本人宅のカバリで、ウィッグ売った人今までいないやろうな。
このままゴミになっちゃうのか、、、
と思ったその時!!
お客さんとして最初から参加してた黄色い服と赤い帽子のおじさんに、他のお客さんが「お前被ってみろ!」と言い出した。
「えー、おれ?」と言いながら帽子をとられるおじさん。
こういうノリいいとこ、ほんま好き。
「おれどう?」
「おー、ええやんええやん!」
ってことで100ルピー(170円くらい)でお買い上げ。
最高な成仏の仕方でした。
「あばよ、相棒。」
おまけ☆
インドAmazonで2000ルピーで買ったギターも、まさかの2200ルピーで売れた。
誰や!食べ残し捨てていったやつ!
友達からもらった百均のキリンもお嫁に行きました。
きっと彼らもまた↑の記事のように、どこかで誰かを笑わせてくれることを願って。
↓すべてはここから始まった。
フィルミレンゲ また会う日まで
日本に帰ってきました。
帰国が決まってから、やりたいこと、やらないといけないことに毎日追われ、本当に毎日が一瞬で。
最後の数日になっても実感ないまま。
友達と「寂しくなるねー」ってどんなに言い合っても、いつも現実味がなくて。
当日もあれよあれよと時間が過ぎていき、幼稚園での挨拶も、マンションのロビーで見送ってもらった時も、空港へ向かう間も、搭乗して離陸しても。
本当に私はここを離れるの?
本当に私はもうここに帰ってこないの?
最後だということを頭でも心でも全然理解できないままでした。
でも、それもインドでたくさん友達を見送ってきたからこそ。
そう思います。
たくさんの友達を見送って別れを経験した分、その友達と日本やインド、他の国で再会するという経験もたくさんできた。
幼い息子も『別れ=ずっと会えない』ではないということを、知ることが出来た。
そう、また会える。
駐在生活の出会いと別れの中で、人生には出会いしかないということを学んだ。
インドで暮らした4年間で、出会った人、もの、出来事、学んだこと。
これからの私の人生の中にずっと生きていると思うから。
人と話してる時、みんなが頷いてる中、一人首を横に振りながら「ティーケティーケ」言ってるかも。
前の車の人に「車間距離詰めて煽ってくるやつにブレーキ踏んだら、手を捻りながらあげてた」って動画拡散されちゃうかも。
ほら、私の中にインドは生きている。
↓すべてはここから始まった。
インドに呼ばれるという説
「インドには行くべき時期がある。その時期はインドが決める。」
という言葉をご存知でしょうか?
独身の頃から「いつかインドに行ってみたいなー」と思っていたものの行く機会がなく、そんなことも忘れた頃に急に旦那の仕事でインドに住むことになった私。
これが、所謂『インドに呼ばれる』というやつなのでしょうか。
インドに呼ばれたおかげで、かなり面白い人生経験が積めたなと思っています。
何もかもが日本と真逆に感じる環境、人、物。
それが腹立たしかったり、辛かったり、ちょっとした小さなことが大きなトラブルになったりするインドでの生活。。
その反面、諦めることを覚えたり、まいっかと許すことを学んだり、予想もしない自体に怒りを飛び越えて笑えたり。
人間の幅や視野も少しは広くなったのかなと感じます。
6月の一時帰国中。
来週末にはインドに戻るという金曜日。
インドにいる旦那から「本帰国が決まった」と連絡がありました。
驚きと、急すぎる話にショックを受けた私。
言われてた訳ではないけど、なぜか次の春に帰る気満々だったのでやり残してることもある。
それでもこれは仕方ないこと。
週明けには動けるように、帰国に向けて色んな手続きについて調べて、何とか気持ちを日本に帰ることに向けました。
そうして月曜には、実家から隣の県の家にいき、住民票を戻し、息子の幼稚園の申し込みの準備をし、ガスの開栓の予約やその他の手続きの準備を済ませました。
そうした作業のおかげもあって少しずつ気持ちの整理もつき始めた夜。
旦那「俺、帰れないかも、、、」
はい?
話を聞くと、温めてきた仕事が人事移動とは関係ないとこで動き出したらしく、詳しくはアレだけど「まぁ仕事だもんなー、仕方ないよなー」という感じ。
振り出しに戻る。
複雑化して振り出しに戻る。
選択肢増えとるやん。
・手続きした通り母子で先行帰国
・旦那の任期いっぱいまでインド残留
・旦那とともに本帰国。ただし旦那インド長期出張
参った、、、。
昨日までは、引越しのことカバリ(ガレージセール)のこと幼稚園のこと、あれやこれや具体的なことで頭が働きまくって眠れなかった。
今夜はどうだ。
心の迷いで先が見えなくて眠れないではないか。
ふははははははははは
次の日も悩み悩み悩み、1人の友達に話を聞いてもらって少し気持ちが落ち着いたところで、インドに残るメリット&日本に帰るメリットを書き出して見た。
《日本》
・小学校入学前に幼稚園で準備期間がもてる
・インドで空気が最高に悪くなる冬を過ごさなくていい
・僅かな単身赴任期間だけど家計にプラスになる
・家もじわじわ劣化してるから住みたい
・ご飯美味しい
・お風呂ゆっくり入れる
・何でも便利
《インド》
・家族で一緒にいられる
・今のお友達と一緒に卒園できる
・まだ旅行行ける
・メラ(マルシェみたいなイベント)にまだ行ける(12月頃開催)
・ホーリーも最後もっかいやりたい
・帰るまでにオーダーしたいもの、あれもこれも間に合う
悩んでる時、紙に書出すって大事ですね。
うん、これじゃあインドに残りたくても誰も説得できねぇわ。
半分以上が私の私利私欲。
振り返って考えてみれば、色々なタイミングが歯車のようにガチっと噛み合って動き出した。
これは『日本に呼ばれている』ということでよろしいですかな?
↓すべてはここから始まった。
ライセンスの意味
インドにもあるキッザニア。
ちゃんとしたやつね。
お金もパスポートも他国でちゃんと使えるやつね。
KidZania Delhi NCR | Best Indoor Theme Park | Amusement Park
4歳以上になるとほとんどのアクティビティが出来ると聞き、初めて行ったのは息子が4歳になった翌月だった。
受付で歳を聞かれ、4歳になってるよ!としつこめに伝えたにも関わらず、発行されたリストバンドは4歳以下のものだった。
お察しの通り、夫婦でブチ切れバンドを交換させると無駄に時間がかかるというお約束通りの流れ。
この時はまだ身長100cmに満たなかった息子。
ガソリンスタンドのブースで車が運転したいと言うと「車のライセンスを先に取らないといけない」と言われる。
教習所のブースにいくと、身長100cm以上と書いてあった。
足りないと知りながらしれっと入ると、何の確認もないまま、画面を見ながら運転の練習をするゲーセンにあるみたいなのをやらせてくれる。
100cmない息子はアクセルにもブレーキにも足は届いてなくて、なんなら画面すらハンドルで半分くらいしか見えてない状態。
後ろからスタッフのお姉さんが操作して、息子はほぼ何もしないままライセンス取得。
なんだそれ?と思ったけど、ライセンスを取っておくと今後ずっと使えるからラッキーだったなくらいに思ってた。
時を経て、、、
ある時、お友達とキッザニアに行った。
その子はまだ運転のライセンスは持ってなくて、取る事に。
その子は身長も100cm越えている。
ブースに入ってシートに座る。
。。。
全然アクセル届かねー!
「彼は足が届かないからライセンス取れないよ」
いやいや、じゃあなんで身長100cm~に設定した?!
十分届く身長以上に設定してくれよ!
そう言うと「わかったわかった」と、シートに浅く座ってやるように言われる。
そうすると確かにアクセルには届くけど、ハンドルと近すぎて操作しにくい。
案の定、上手く運転出来ずに不合格にされる。
2年ほど前とはいえ、息子の時と大違い。
もらえると思ってたものがもらえず泣いてしまったお友達。
そりゃあそうだよね。
でも息子の時に比べて厳しくなっちゃったのかな。
悔しいよね。そうだよねー。
そう言ってみんなでなぐめていると、ライセンスのブースのスタッフがまさかの一言。
「オッケーオッケー!ライセンスあげるから。泣かないで。」
はい???
泣けばもらえるライセンスとは、、、
子役のライセンスかな?
これでオチかと思ったでしょ?
そう、ここは予想の斜め上をいくインド。
「ライセンスあげようと思ったけどシステムの不具合でカード発行できないわ。また今度ね!」
ズコーーーーーー!
↓すべてはここから始まった。