心が折れた話
インドへ来て、気付けばもう1ヶ月以上が経っています。
1週目は旦那が休みを取ってくれていたので、マンションの敷地内やスーパーマーケットめぐりをし、英語での会話はほぼ旦那に丸投げ。
まだ、非日常の毎日にハイになっていたと思います。
2週目には旦那が仕事へ行ってる間がとにかく不安で、なるべく何も起こらないように祈りまくってました。
とはいえ、敷地内で息子と同じくらいの子たちと顔見知りになり、そのお母さん達と話したり、ベビーシッターさんと軽く英語で挨拶するくらいはできるようになりました。
でもやっぱり、英語で会話は続かないし、話してくれる内容も半分以上分からなくて笑って誤魔化す日々。
スーパーなどに買い物に行ってもお会計が聞き取れない。
分からなくて焦ってるのを苦笑いされて、余計焦ってパニックになる。
そして帰り道で自分の出来なさにため息をつく。
3週目になると、レジでは会計の画面をのぞき込んでお金を払うようになったので買い物では焦らなくなりました。
たまに、Buy1Get1とか書かれた商品を選んでしまって「もう一ついらないのか?」って言われたり、「あと〇個買ったら20%オフになるよ」とか、言われると「えっ?!何?なんて言ってんのー?」とパニクって、やっぱり帰り道に凹んでました。
その反面、おうちを行き来する日本人のお友達も出来て楽しくもなってきました。
同じくらいの子供たちはプリスクールに行っている子が多く、同じくらいの時期にこっちへ来た人たちも探してる人が多い。
仲良くなったお母さんが見学一緒に行かない?って誘ってくれたので、のこのこついて行きました。
だけど、門をくぐってから門を出るまで、ほぼ何も喋れず。
説明してくれてる先生の言葉もほぼ聞き取れず。
誘ってくれた友達の足を引っ張らないように、分かったような顔をして頷き笑って、それだけで精一杯でした。
どんな内容のプログラムがあるのか、どんな方針なのか、出てくる食べ物は安全かなど、きちんと考えて質問してる友達と、方やプリスクールって何?状態でついてきただけの自分。
そもそも見学の予約も、当たり前だけど英語でしないといけないし、通うことになれば、契約だの何だの全て英語。
プリスクールがどんなものか見れたのは良かったけれど、そんな友達の姿に自分との差があまりにも大きく、心はバッキバキに折れたのです。
帰りの車の中で、説明されてた内容を細かく教えてくれる友達の言葉は耳をすり抜け、正に“心ここにあらず”。
親の力量で子供の置かれる環境が決まる。
息子の友達の幅も選べるスクールの幅も質も、全て自分が英語が出来ないことで狭めているような気持ちになってしまったのです。
今まで何度か一人で海外旅行をしたこともありました。
仲良くなった現地の人もいた。
でもそれは、その場のノリとジェスチャーで誤魔化して何とかなってただけ。
仲良くなった雰囲気になってただけ。
生活するということは、全然違う。
暮らすということは誤魔化せないことがたくさんある。
この頃は、エレベーターで乗り合わせた人にHELLO!と言われることさえビビるほどに、心は折れていました。
そして、それから。
やっぱり凹んでてもしょうがない。
今日話したかった、言いたかった、あんな事やこんな事をどう言えば伝わったのか。
ここにtoだのforだの入るのか?
家に帰ってから電子辞書を引いたり本を見たり、旦那に相談してみたり。
よく会う外国人のお母さんに、とにかく単語を並べて伝えて、どう言えばいいのか教えてもらったり。
そうして覚えた英語を使っていくうちに少しずつ気持ちも復活してきました。
人と比べず自分のベストを尽くそう!
心が折れた日に、修造さんが背中を押してくれました。
修造さんだけじゃありません。
これを餞別にくれた大切な友人達がそばにいてくれる様な気がして、頑張ろうと踏ん張れたのです。
困った時、インド行きを決めてからもらったたくさんの言葉や、遠くから近くから会いに来てくれたみんなの顔が浮かんで私を励ましてくれます。
みんな、ありがとう。
↓すべてはここから始まった。