偏食っ子を持つ私を救った言葉
我が息子は偏食という言葉では生易しいくらいの偏食ボーイ。
食べれるものを数えたら両手の指で足りるくらい。
それも、調理方法はおろか切り方を変えただけでも食べれなくなってしまう。
食べれる物を組み合わせを変えて食べてるだけだから、ほぼ毎日同じような食事になってしまっている。
それでも背は伸びて体重も増えていくんだから私は不思議でしょうがない。
初めて見るもの、見た目が嫌なものは頑なに口に入れないし、頑張って1ミリくらいかじってもオエッてなる子。
前に家族でご飯を食べていた時に「お父さんも初めてのもの食べる時はえずいてた?」と聞いてる息子を見てかわいそうになった。
4月から幼稚園に行きだしてお弁当になってから、食べれないものも口に入れてみることは頑張ってくれている息子。
口に入れてみるということがすごい頑張りだということは私にも分かっている。
噛んだけど飲み込めずに吐き出したおかずがお弁当箱に残って帰ってきても「おー!よく頑張ったやん!」って思える。
でも、そう思えるようになったのも過程があるから。
離乳食と断乳直後までは結構何でも食べていた息子。
それがだんだん食べれるものが減っていった。
調理方法を変えてみたり、あの手この手で誤魔化して口に入れたり、小芝居して食べるように笑かしてみたり。
お手伝いができるようになってからは一緒に作ったり、なんなら息子用エプロンも一緒に手作りしたし、思いつくことはほんとにやり尽くしたと思う。
人に聞いたことやネットで見たことも、たぶん試してないことはもう一つも残ってないと思う。
それでも食べてくれない息子にイライラして、必要以上に怒ったり責めたり泣いたりしてしまったこともあった。
新しく工夫したことがダメだった時、周りの子が何でも食べる姿を見た時、勝手に期待して失望してイライラして自己嫌悪して。
そんなある時、友達が冗談であることを言ってくれた。
「息子君さぁ、前世で毒殺されたんちゃう?笑」
めっちゃ笑った。
もうめっちゃ笑った。
そりゃ毒殺されたトラウマ前世に持ってたら偏食にもなるよな!
その日旦那にもその話をした。
「絶対それやんな!笑」
2人でめっちゃ笑った。
それしかない、と。
それからは残しても食べれなくても「毒殺されたんやからしょうがないやん」って思えるようになって気持ちがめちゃくちゃ楽になった。
子育てをしていて、子の成長や発達に何か問題があると感じると、自分の力不足なんじゃないか、あの人がこの子の母だったらその方がこの子にとってもよかったんじゃないかとか考えてしまうことがある。
それがその子の元々の性格だろうなって分かっていても、私が怒りすぎなのかなとか、うまく伝えられてないからなのかなって自己嫌悪になって。
でも不思議とそれを第三者に言われると、「そっか、この子はこういう子なんだからしょうがないんだ」って心が救われることもある。
心の中で本当は責めても仕方ないと分かってること、なんでも前世のせいにしてしまおう。
↓すべてはここから始まった。