子供の頃の夢は「世界平和」だった

インド生活を終えて、もう一年以上が過ぎた。

このブログには書いてこなかったこと。

書こうとしてうまく書けなくて下書きに溜まっていたことがある。

 

それはインドの貧困層の方のこと。

 

インドと聞くときっと誰もが何番目かに思い浮かべるんじゃないかな?

カースト制度や物乞いの人のがいる国だということ。

 

私の日常の中にも貧しい暮らしをしてる人達がいつもそばにいた。

 

いつも通る交差点。

信号待ちで止まると、ほぼ毎日物乞いの人が車の窓をコンコンと叩く。

 

「無視するようにしてるけどいつも心が痛む」

「ここにいたらなにか貰えるって分かったら、この人たちはずっとこんな車がバンバン来る危ない場所で子連れで来てしまうからあげない方がいい」

「偽善かもしれんけどたまに食べ物あげてしまう」

「物乞いビジネスってのがあるらしいよ。元締がいてお金集めててるらしいからお金とかあげない方がいい。」

「1人に何かあげても根本的には解決しないから意味がない」

 

色んな意見に出会った。

 

私はというと。

無視するということができなかった。

 

 

インドに行って最初の頃。


よく行く駐車場にいつもいる子供たち。

ドライバーさんに電話して車を待っていると、ボールペンとか造花を持って走りよって売りに来る。

この子達に何かしてあげられる自分ではないけど、せめて名前くらい知りたいと思って身振り手振りで名前を聞いたり年を聞いたり。

そこへ行く度、そうして車が来るのを待っていた。

少し顔見知りになったころに、あまり深く考えずに、特に必要じゃなかったけどボールペンをその子から買った。

すると、それを遠巻きに見ていた子たちがすごい勢いで走って集まってきて、私があげたお金を奪おうとして喧嘩になってしまった。

 

他にも、路上で生活しながら道端で壺を売っている人がいた。

プランターにしたら可愛いだろうなーと思って軽い気持ちで立ち寄ってみた。

話しかけられたので値段を聞いたりして少し話をした。

一つ一つ見てみたけど、その時は欲しいと思うデザインのものがなかったから帰ろうとしたら、冷やかしだと思われたのかヒンディー語で何か大きな声で怒鳴られて、追いかけてくる勢いだったので身の危険を感じて車に飛び乗ったことがあった。

 

どっちの出来事も自分ではそんなはずじゃないのにそうなってしまった。

少しのお金だけど暮らしていく足しになればくらいの軽い気持ちで、社会的な背景も知らずその人たちの気持ちも考えられてなかったからだろう。

自分の浅はかさにすごくショックを受けた。

 

それから私は積極的には関わるのをやめた。

 

でもやっぱり信号待ちでコンコンと窓を叩いてくる人を無視はできない。

 

だから、子供用に多めに持っていたお菓子とかペットボトルに汲んでおいた浄水器の水とかを渡していた。

特に夏は日本の夏とは比べ物にならない暑さ。

48度くらいの気温で乾燥がすごいから汗をかいてる自覚もなく脱水になってしまう。

せめて水くらいは飲んで欲しかった。

 

家で使ってないサンダルとか子供の小さくなった靴とかも渡したことがある。

熱いアスファルト、ゴミがたくさん落ちた道で裸足で立つ人たちだったから。

物乞いをする時、あえてみすぼらしく見せると本で読んだこともあった。

だから裸足だったのかもしれないけど、それ以外の場所では少しでも安全に過ごして欲しかった。

 

どれも私のエゴかもしれないし偽善なのかもしれない。

でもそうしたかった。

 

特に話したわけでも関わったわけでもないのに、なぜか今も忘れられない子がいる。

デリーの繁華街。

煌びやかなブランドのお店が並んでいる通りを10歳くらいの女の子が一人、泣きじゃくりながら歩いていた。

裸足でボロボロの服で。

私には、何かすごく深い悲しみに涙してるように見えた。

何年かインドで暮らして、路上にいる子たちを見てきたし子供が泣いてる場面を見たこともあった。

何となくだけどそういう涙とは違う何かを感じた。

私が勝手にそう感じただけで、もしかしたら兄弟と喧嘩しただけなのかもしれないし親に怒られただけだったのかもしれないけど。

でもその子の泣いてる姿は今も瞼の裏にに鮮明に残っている。

そして、私はどうしたらよかっただろうか、何ができただろうかとふと考える。

話しかけてみたらよかっただろうか。

ハンカチの一つでも差し出したらよかっただろうか。

でもそれをしたとして、彼女に何か意味のある行いになったのだろうか、と。

 

 

日本に帰ってきて日本の生活も便利さもすぐに思い出して慣れ、買いすぎた野菜を腐らせたり、食べきれなかった食べ物を捨てたりして、それにも慣れていく。

道端に立って物乞いをしてる人は当たり前にいない。

 

インドと日本。

ただ生まれた場所が違うだけ。

あの泣いていた子や道路で物乞いしていた子と自分の子はそれ以外に何が違うんだろうか。

 

ぐるぐると考えていた頃に偶然出会ったYouTubeがあった。

 

それが『フリーランス国際協力師 原貫太』チャンネルだった。

https://youtube.com/channel/UCLubQ17jEPLmYmfQ0KW7dGA

 

たくさん動画を見て原さんの熱い想いに触れるうちに思い出した。

 

子供の頃、夢は?って聞かれたら「世界平和!」と答えていたこと。

そしていつ頃だか忘れたけれど、そう答えることが恥ずかしくて言わなくなっていったこと。

 

でもずっと心の中にはその夢はあったこと。

 

勢いで核兵器廃絶のフォーラムに泊まりがけで乗り込んだり、青年海外協力隊に行ってるお友達がいる人たちが計画したスタディツアーに参加したりしてた。

高齢者施設で働いていた時も、よく戦時中の話を聞かせてもらってて、その熱のまま平和資料館とか見に行ったりしてたやん、私。

 

結婚して子供が出来て、思いつきで一人でぽーんと行動することがなくなって、そういう自分がいたことをどこかで忘れてた。

 

それと同時に息子の未来を想った。

 

この子が大人になった時、おじいちゃんになった時、世界はどんな風だろうか?

 

まだ世界のどこかで争いがあって傷ついている人がいて、今いる生き物が住みにくい世界が加速していて、、、

 

それはイヤ。絶対イヤ。

 

大人も子供もいっぱい笑って、世界中の子供たちがそれぞれの夢に目をキラキラさせて、それを叶えるために頑張れる世界であってほしい。

 

2020年はコロナウイルスで大変な世の中になってしまったけど、そんな中で友達が教えてくれた言葉。

「微力だけど無力じゃない」

 

私も何か動き始めよう。

 

原さんのような人を応援したいし、自分の中にずっとあった気持ちももっと深めたい。

自分に出来ること、小さくても小さくてもいいから見つけたいし見つけようとしている自分でありたい。

 

そう思って原さんのオンラインサロンに入った。

https://peraichi.com/landing_pages/view/kantahara-salon/

 

 

2021年。

自分の中で新しい世界が広がりそうでわくわくしている。

 

 

 

 

 

↓すべてはここから始まった。

 

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