海外駐在と子供たち
先日、ある本を教えてもらった。
「サードカルチャーキッズ 多文化の間で生きる子どもたち」
タイトルの通り、親の仕事や様々な事情で海外で暮らすことになった子どもたちについて書かれた本。
自分の生まれた国、親の育った国、住んでいる国、そこから更に移り住んだ国、帰ってきた国。
その全ての文化の狭間で、揺れ動く子どもの心。
違う国の違う文化に戸惑ったり、住んでる国と親の教育の文化的違いに戸惑ったり、自分や友達の引越しに喪失感を味わったり、今まで当たり前にしてきたことが違う国では失礼にあたるなどで恥ずかしい思いやプライドを傷付けられる出来事が起こったり。
そんな事例もたくさん載っていた。
本を読み進めながら思い当たることが次々に溢れ出てきて、色んな感情が入り交じってすごく複雑な気持ちになった。
と同時にこの本に出会えてよかった。
この本を教えてもらって本当によかった、と思った。
【具体的に思い浮かんだこと】
・日本からインドに引越して約2週間の間。当時2歳だった息子は片時も、ほんとに1秒も親から離れなかった。トイレでも台所でも足にしがみついていたし、公園に遊びに出ても私に触れてないとパニック状態で泣いていた。まだ2歳で「外国に引っ越す」ということを言葉で説明しても理解は難しい年齢。いきなり全ての環境が変わって不安だったし恐かっただろうな。
・言葉が分からないうちの方が馴染みやすいのではと、引っ越して少し落ち着いた頃に入ったスクール。先生は英語、お手伝いの人はヒンディー語。家では2歳の片言でも何となく言いたいことを分かってくれる人がいるのに、そりゃ泣くよね。
・家では行儀悪いと教えられることがスクールではOK。逆も然り。どっちを守ればいいか戸惑ったのかな?
・どこに行っても「ohー!very cute boy!!」とか言ってインド人にかまわれて写真を撮られることが多くて、すごく嫌がっていた。
・不在の間に家の鍵を交換されて家に入れなくなって怒り狂って電話でブチ切れたことがあったけど、その横で誰よりも不安でいっぱいだったのは息子だっただろう。
・アクシデント、トラブルが日常的に起こるから、気をつけていてもついつい子どもの前で“インド人”や“インドという国”の悪口が漏れてしまうことがあった。息子にネガティブな固定観念を植え付けてしまったところがあるだろうなと思う。反対に、自分が大好きなスクールの先生のことを悪く言われてるような感覚になったかもしれない。これはどこにいても同じだと思うけど、子どもの前で何かをジャッジするような発言は本当に気をつけようと思った。
・電車やバスより飛行機に乗ることの方が多い生活。日本の新幹線の車内販売で当たり前の顔して「apple juice!」なんて子どもが言って、大人は恥ずかしくて謝ったり笑ったりするけど、それで本人たちを辱めてなかったかな?
・急に友達が帰国になってお別れしないといけない。馴染みのドライバーさんが急に辞めてしまう。など、心の準備もままならない間にお別れの時が来て、次の日からはいつもの風景にその人たちがいない。
特にうちは周りの友達がことごとく帰ってしまった時期があった。送別会をするために集まったメンバーの中で、うちだけが送る側なんてこともあった。息子はスクールのクラスで日本人が1人になってしまって寂しさや孤独や不安、たくさん感じただろうと思う。私も深い喪失感を感じたけど、息子もそうだっただろう。
・「世界中旅行行ったしうちはお金持ち!」なんて大声で話されて、店から逃げるように出たり「そんな事言わないで」って言ったけど、子どもからしたら『旅行たくさん行く=お金がある』という当たり前の構図があったんだろう。
インドにいると美味しい肉料理に飢えているし、タイやシンガポールなどに日本食材を買い出しにいかないと日本人的な生活が難しい。日本に比べると圧倒的に予定通りに物事が進まないストレスの多い日常からたまには解放されたい。そんな理由から、みんな海外旅行に行くことが極々普通のことだった。お互いに旅行の話をしたり情報交換したりをよくしていたのに、日本に帰ってきたら急に言わないでなんて言われたら戸惑うよなぁ。
・インドでは、日本の幼稚園児の年齢からお勉強らしきことが始まる。言葉が分からない。言われてることは分かっても言いたいことが言えない。そんな中で勉強もしないといけない。同じクラスのインド人の子たちはいつも優しく息子を助けてくれていたし、先生もよく理解してくれて息子に「お片付けマスター」の称号を与えて活躍できる場を作ってくれていた。でももしかしたら本人は自分だけができないことが多くて劣等感を感じていたかもしれない。
・上の反対に、日本に帰ってきて日本の幼稚園に行った時にも劣等感のようなものを感じていたのではと思う。
日本の童謡をみんなほど知らない。縄跳び、鉄棒(インドにない)などがほぼ未経験でできない。
能力はあるのに、知らない、やったことが無いせいでできないことがいくつかあった。
縄跳びなんかは家でやってみたこともあったけど、興味も薄かった。子どもたちが幼稚園や保育園の集団の中で「楽しい」とか「出来るようになりたい」とか気持ちを育むのって、家庭ではできないすごく有難いことだと思った。
日本に帰ってきた時は周りはある程度出来るようになってる年齢だったし、かっこ悪いとかできない姿を見せたくないとか色んな想いが多分今もあるんだろうな。(もちろんずっと日本で育っても苦手だったかもしれないけど)
・くん、ちゃん、を付けて呼ばれるのを好まない。インドでは先生からも友達、友達の親など、周りのみんなが呼び捨てし合う関係だった。だから敬称を付けてよばれると少し遠くに感じてしまうしなんだか落ち着かないと言っていた。
色々書いたけど、もちろん悪い面だけじゃなかったと思う。
・子どものうちに、世界には色んな人や色んな文化、色んな言葉、色んな生き方があることを感覚的に知っているのは、私からしたら羨ましいし、経験できてよかったと思う。
・地図で見るだけじゃなくて、実際に飛行機で移動してどのくらいの時間がかかったのか、どんな景色を飛び越えてその場所にたどり着いたか、とか平面の情報を立体にすることができる。
・行ったことのある国のことはニュースなんかで見ても記憶に残りやすいし、写真を見て思い出したり、身近に感じられる国がたくさんあるのはいいことだと思う。
急な海外駐在で戸惑うのはなにも子どもたちだけじゃない。
会社からの辞令などによって、パートナーや家族を大きく巻き込むことや、会社と自分のすべき仕事と家族の気持ちの板挟みになるだろう。
パートナーの駐在に帯同することを決めた方も、右も左も分からぬ状態から、いきなり日々暮らすためのスキルと家族を守ることを託される。
住み慣れた環境も人間関係も、全部が無くなったような不安の中で、日々生きていかないといけないし、家族を生かさなければならない。
自分のすべきことでいっぱいいっぱいで、子どもの心の細部まで目を向けることは決して容易いことじゃない。
どこで買い物をすればいいのか。
どこで遊ばせていいのか。
言葉の壁もある。
急にケガや病気をしたらまず何をすべきなのか。
今までの常識は通用しなくて、電話のかけ方ひとつ、第一声なんて言えばいいかも分からない。
そんなところからスタートして、みんな必死にインドの暮らしに慣れようと頑張っていたし、お互いに情報交換したり助け合ったりした。
そのお陰で深い絆で繋がれたし、一生物の友達、戦友と感じる友達もたくさんできた。
子ども同士も同じ。
家に行ったり来たり、お泊まりしたり、四六時中一緒に過ごした兄弟のような友達。
ケンカもたくさんしたけど、今でもすぐに思い出して話題に上がる大事な人たちだ。
それぞれの会社や家族に色んな事情があって海外に住むこと。
それはうまく行けばいい面もたーくさんある。
だけど、うまく馴染めなかったり、変化を受け入れられなかったり。
家族の誰かが心に何かを抱えていないかということにはよく気を付けて見守らないといけない。
特に子どもは、まだ語彙力が足りなくて気持ちをうまく説明できないこともある。
親が大変そうにしているのを見て我慢してしまうこともある。
表向きの言動が全てじゃないし、本心を隠すための言動だったりもする。
一時帰国から駐在先に帰る時、お友達とのお別れが来た時、家族が離れて暮らす決断をした時など、嫌がる子どもに事実を伝えて説得するより、ただ子どもの気持ちに寄り添って共感して話を聞くことも大切だろう。
当時抱えていたそういう気持ちを、大人になって思い返して再体験することでその時の感情を表現出来て解放されたという事例も載っていた。
海外に住んで豊かな暮らしをしていると分かっているからこそ、苦悩する自分を「贅沢な悩みなんだ」と否定してしまって苦しむ子もいる。
この本を読み終えて自分を振り返った時、息子が戸惑ったり不安やどうしようもできないもどかしさを感じていた時に心を寄せられてなかったかもなぁと思った。
息子にとってはインドの生活の中で当たり前だったことを、日本社会の当たり前と比べて面白がって笑ってしまってたなぁとか。
親が決めたことに従うしかない立場の弱さがあることに気付けていなかった。
インドに行く前に、行ってる間に、この本に出会っていたら、違う文化の国に住むということを子供目線で少しだけでも理解してやれたかもしれない。
インドで出会ったみんなはもちろん、海外駐在に帯同した経験のある人、その予定がある人などなど。
少しでも気になった人はぜひぜひ読んで欲しい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4883195260/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_RQW4AHPWXZEZEBSHEEB6
↓すべてはここから始まった。
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迷った時は地図を見よう
インドに住んでいたある夏のこと。
私は盛大に道に迷っていた。
苦労して歩いたのにあっちもこっちも行き止まり。
大きな岩を乗り越えたり、落とし穴を助走を付けて飛び越えたり。
それでも避けきれなくて、いっぱい転けて血まみれ状態だった。
そんな時、ある人がこっちに地図があるよーって手招きしてくれた。
見に行ってみると、私が好きそうなお店がある道や好きそうな景色がある道を教えてくれた。
この坂道キツいけど花がたくさん咲いてるから楽しく歩けるよ、とか。
他にも、ここは通るの苦手だと思うよって道も。
その地図を見せてもらうと、そこには“私”が詰まってた。
その地図をもっとよく見れる人がいるらしく、その日その時間たまたま通訳してくれる人も一緒に、その地図がよく見れるインド人のおじさんのところへ行った。
まるでおじさんに呼ばれたかのように。
すごい。
おじさんすごい。
地図の中で私が通りたい道がめっちゃ見えてきた。
通りたいけど避けた方がいいかなって道も。
そしてインド生活が終わろうとしていた時。
毎日が送別会や引越しなどで分刻みのスケジュール。
そんな中、普段会わないしほとんど深い話なんてしたことない人が、「私地図見れるんだけど一緒に見てみない?」って言ってくれた。
そして偶然ぽっかりと予定のない時間があった。
これも、まるで何かに呼ばれてるかの様だった。
その人も、その時の私の現在地をピンポイントで教えてくれて、ゴールはこっちの方だよって教えてくれた。
そんな感じで私は“占い”に出会った。
それまで占いっていうのは“当たる”か“外れる”か、そんなもんだと思ってた。
でもそれが間違ってたことに気付いた。
そう、占いは迷った時に見る地図なんだ。
どこかで道に迷ったら、みんなGoogleマップを開くよね。
Googleマップは目的地とその最短ルートを教えてくれる。
占いっていう地図は、それ以外の情報もたっぷりくれる。
得意な道、好きな道、寄り道したら楽しい道、不得意だけど私なら乗り越えられる道。
どんな景色でどんな匂いがしてどんな風が吹いてるか。
そして背中を押してくれる。
もちろん迷ってもその迷いすら味わいたかったら見なくていいし。
教えてもらった道よりやっぱりこのまま進みたいと思ったら進んでみたらいいし。
ピンときたとこだけいいとこ取りすればいい。
私は占星術に出会って心が軽くなった1人。
息子のことも、私の育て方がダメなのかなぁって思ってたとこも、他人から「この子は○○だからしょうがないよ。むしろ○○なとこ伸ばしてあげるといいよ。」とか聞くと目からウロコでめちゃくちゃ納得して、黙って見守ってやれるようになった。
自分のここがダメだなぁって思ってたとこも、他にもってる面を意識することでうまく緩和できたりした。
宇宙創造の話とか宇宙がどうなってるとかいう話が大好きな私には、単に知識としても面白いし奥深い。
そして占星術を知ってから流れがぐんぐん来てること。
流れに乗って進んでみたらさらに面白いことやってる人に出会う。
その中でマヤ暦にも出会ったし、インド時代の友達が占星術やってて教えてもらえることになったりしてる。
2020年12月22日から占星術でいう風の時代に入った。
ホロスコープに水瓶座を持ってる私がとってもわくわくを感じてる。
正直そんなん関係ないかもしれんと思ったりもするけど、色んな流れがきてて楽しいと感じてることは確か。
もっと勉強して、いつか誰かの心を軽くできたらいいな。
↓すべてはここから始まった。
飽きっぽいまま突き進め!
タイトルがまさに今年のテーマです!
私は、良く言えば好奇心が旺盛。
そしてフットワーク軽めなので、とりあえずその世界に飛び込んでみて新鮮で面白いうちはカーッとテンション上がってのめり込む。
が、しかし、、、
しばらくすると面倒くさくなってちょっとずつ間が空いて、気付けばそれ何だっけ状態になってる。
要は熱しやすく冷めやすい。
今までハマったものは数知れず。
消しゴムはんこ、編み物、刺繍、ビーズ、くるみボタン、一眼レフカメラ、ギター、写経、スクラッチアート、占星術、ネイル、ミシン、、、
アウトドアでもバイクに登山、スノーボード、スケボー、キャンプ、、、
継続してやってるものももちろんある。
けど、そろえた道具も本も家の片隅に追いやられ、ハマったことすらも忘れ去られていてるものも多分かなりある。
映画も、見たーい!とAmazonプライムのウォッチリストに山ほど入ってて、本もすぐ買うくせに読む時間作らないからどんどん積まれていく。
あれもこれも中途半端。
何も本腰入れて突き詰められてないなーってモヤモヤして。
モヤモヤしてるだけでボーッと1日終わって。
そんな自分が嫌になって。
2020年が終わる頃。
お友達と話してた時に、急に「え?中途半端でもやりたいことやればよくね?」ってなった。
中途半端なままなのをネガティブにとらえずに、色んなことに興味がわく自分の思うままやってみたらいいやんって。
背中を押されるような出来事もタイミングよく出てきて、「よっしゃ今年はフルスロットルで楽しんで動く!」と決めた。
そしたら更にどんどん追い風が吹いてる今日この頃。
そういえば、インドから日本に帰るとなった辺りから、タイミングよく色んな出来事が起こっていた。
そのチョロチョロ流れてた湧き水みたいな小川が、今、色んな人の流れと合流して大きな川になって広い海を目指してる感じ!
こないだ西野さんの映画『えんとつ町のプペル』を見た。
その中のある人物のセリフで「星はすぐ隠れちゃうからずっと上を見て星を探し続けてないと見逃しちゃうよ」みたいなのがあった。
中途半端って言葉に逃げてた自分に気付いた。
よし!!!
今年は、飽きるということを恐れずにどんどん色んなことやるぞー!
海に向かって泳げー!!
↓すべてはここから始まった。
子供の頃の夢は「世界平和」だった
インド生活を終えて、もう一年以上が過ぎた。
このブログには書いてこなかったこと。
書こうとしてうまく書けなくて下書きに溜まっていたことがある。
それはインドの貧困層の方のこと。
インドと聞くときっと誰もが何番目かに思い浮かべるんじゃないかな?
カースト制度や物乞いの人のがいる国だということ。
私の日常の中にも貧しい暮らしをしてる人達がいつもそばにいた。
いつも通る交差点。
信号待ちで止まると、ほぼ毎日物乞いの人が車の窓をコンコンと叩く。
「無視するようにしてるけどいつも心が痛む」
「ここにいたらなにか貰えるって分かったら、この人たちはずっとこんな車がバンバン来る危ない場所で子連れで来てしまうからあげない方がいい」
「偽善かもしれんけどたまに食べ物あげてしまう」
「物乞いビジネスってのがあるらしいよ。元締がいてお金集めててるらしいからお金とかあげない方がいい。」
「1人に何かあげても根本的には解決しないから意味がない」
色んな意見に出会った。
私はというと。
無視するということができなかった。
インドに行って最初の頃。
よく行く駐車場にいつもいる子供たち。
ドライバーさんに電話して車を待っていると、ボールペンとか造花を持って走りよって売りに来る。
この子達に何かしてあげられる自分ではないけど、せめて名前くらい知りたいと思って身振り手振りで名前を聞いたり年を聞いたり。
そこへ行く度、そうして車が来るのを待っていた。
少し顔見知りになったころに、あまり深く考えずに、特に必要じゃなかったけどボールペンをその子から買った。
すると、それを遠巻きに見ていた子たちがすごい勢いで走って集まってきて、私があげたお金を奪おうとして喧嘩になってしまった。
他にも、路上で生活しながら道端で壺を売っている人がいた。
プランターにしたら可愛いだろうなーと思って軽い気持ちで立ち寄ってみた。
話しかけられたので値段を聞いたりして少し話をした。
一つ一つ見てみたけど、その時は欲しいと思うデザインのものがなかったから帰ろうとしたら、冷やかしだと思われたのかヒンディー語で何か大きな声で怒鳴られて、追いかけてくる勢いだったので身の危険を感じて車に飛び乗ったことがあった。
どっちの出来事も自分ではそんなはずじゃないのにそうなってしまった。
少しのお金だけど暮らしていく足しになればくらいの軽い気持ちで、社会的な背景も知らずその人たちの気持ちも考えられてなかったからだろう。
自分の浅はかさにすごくショックを受けた。
それから私は積極的には関わるのをやめた。
でもやっぱり信号待ちでコンコンと窓を叩いてくる人を無視はできない。
だから、子供用に多めに持っていたお菓子とかペットボトルに汲んでおいた浄水器の水とかを渡していた。
特に夏は日本の夏とは比べ物にならない暑さ。
48度くらいの気温で乾燥がすごいから汗をかいてる自覚もなく脱水になってしまう。
せめて水くらいは飲んで欲しかった。
家で使ってないサンダルとか子供の小さくなった靴とかも渡したことがある。
熱いアスファルト、ゴミがたくさん落ちた道で裸足で立つ人たちだったから。
物乞いをする時、あえてみすぼらしく見せると本で読んだこともあった。
だから裸足だったのかもしれないけど、それ以外の場所では少しでも安全に過ごして欲しかった。
どれも私のエゴかもしれないし偽善なのかもしれない。
でもそうしたかった。
特に話したわけでも関わったわけでもないのに、なぜか今も忘れられない子がいる。
デリーの繁華街。
煌びやかなブランドのお店が並んでいる通りを10歳くらいの女の子が一人、泣きじゃくりながら歩いていた。
裸足でボロボロの服で。
私には、何かすごく深い悲しみに涙してるように見えた。
何年かインドで暮らして、路上にいる子たちを見てきたし子供が泣いてる場面を見たこともあった。
何となくだけどそういう涙とは違う何かを感じた。
私が勝手にそう感じただけで、もしかしたら兄弟と喧嘩しただけなのかもしれないし親に怒られただけだったのかもしれないけど。
でもその子の泣いてる姿は今も瞼の裏にに鮮明に残っている。
そして、私はどうしたらよかっただろうか、何ができただろうかとふと考える。
話しかけてみたらよかっただろうか。
ハンカチの一つでも差し出したらよかっただろうか。
でもそれをしたとして、彼女に何か意味のある行いになったのだろうか、と。
日本に帰ってきて日本の生活も便利さもすぐに思い出して慣れ、買いすぎた野菜を腐らせたり、食べきれなかった食べ物を捨てたりして、それにも慣れていく。
道端に立って物乞いをしてる人は当たり前にいない。
インドと日本。
ただ生まれた場所が違うだけ。
あの泣いていた子や道路で物乞いしていた子と自分の子はそれ以外に何が違うんだろうか。
ぐるぐると考えていた頃に偶然出会ったYouTubeがあった。
それが『フリーランス国際協力師 原貫太』チャンネルだった。
https://youtube.com/channel/UCLubQ17jEPLmYmfQ0KW7dGA
たくさん動画を見て原さんの熱い想いに触れるうちに思い出した。
子供の頃、夢は?って聞かれたら「世界平和!」と答えていたこと。
そしていつ頃だか忘れたけれど、そう答えることが恥ずかしくて言わなくなっていったこと。
でもずっと心の中にはその夢はあったこと。
勢いで核兵器廃絶のフォーラムに泊まりがけで乗り込んだり、青年海外協力隊に行ってるお友達がいる人たちが計画したスタディツアーに参加したりしてた。
高齢者施設で働いていた時も、よく戦時中の話を聞かせてもらってて、その熱のまま平和資料館とか見に行ったりしてたやん、私。
結婚して子供が出来て、思いつきで一人でぽーんと行動することがなくなって、そういう自分がいたことをどこかで忘れてた。
それと同時に息子の未来を想った。
この子が大人になった時、おじいちゃんになった時、世界はどんな風だろうか?
まだ世界のどこかで争いがあって傷ついている人がいて、今いる生き物が住みにくい世界が加速していて、、、
それはイヤ。絶対イヤ。
大人も子供もいっぱい笑って、世界中の子供たちがそれぞれの夢に目をキラキラさせて、それを叶えるために頑張れる世界であってほしい。
2020年はコロナウイルスで大変な世の中になってしまったけど、そんな中で友達が教えてくれた言葉。
「微力だけど無力じゃない」
私も何か動き始めよう。
原さんのような人を応援したいし、自分の中にずっとあった気持ちももっと深めたい。
自分に出来ること、小さくても小さくてもいいから見つけたいし見つけようとしている自分でありたい。
そう思って原さんのオンラインサロンに入った。
https://peraichi.com/landing_pages/view/kantahara-salon/
2021年。
自分の中で新しい世界が広がりそうでわくわくしている。
↓すべてはここから始まった。
小さくて大きなキミ
あけましておめでとうございます。
って日付けじゃないけど、、、
8月末に帰国して、もうすぐ5ヶ月。
色々悩んで悩んで、旦那はしばらく単身赴任することになり、覚悟はしていた母子での生活。
やはりきつい。。。
6歳にもなると、
ダメなことをする。
怒られる。
ごめんなさい。
では終わらない。
息子も息子なりに言い分がある。
こっちも息子の気持ちも分からなくないけどダメなことはダメだし、言い合いになるとお互い後に引けずなかなか終わらない。
お互いに逃げ場がない。
そこまで悪いことしてなくても、息子のする事がいちいち目についてしまって、そのくらい見逃せばいいやんってことも口に出ちゃう。
偉そうに嫌な言い方してくるけど、それは私が日頃言ってることそのままで、反省しつつもやっぱり腹が立つ。
自分でも自分の嫌なとこばっかり目について、もっとのびのびさせてやりたいのにって反省してはまた怒ってしまって自己嫌悪。
このままじゃダメだなと思って、アンガーマネジメントやイライラしない系の育児本読んだりネットでみたり。
それをやってみてちょっとましな日を過ごせたなと思ってても、しばらくすると調子に乗ってくる息子と私のイライラが溜まってきてダメな日々に逆戻り。
それをひたすら繰り返してる感じ。
度々実家に行ったり息子を預かってもらったりして、1人になる時間をもらってるおかげで何とかバランスを取ってる。
もちろん楽しいこともある。
6歳だと一人で出来ることも多いし、その時の思いつきやノリでサッと2人で出かけたりもしやすい。
外食したりお風呂屋さんに行ったり、午前保育の日の午後にちょっと遠出するとか、出かける前の日の夜にわざわざ車中泊してみたりとか。
息子も引越しに転園にお父さんと離れたり大きな環境が続いたし、幼稚園でも小学校に向けて日々頑張ってる。
家では私にごちゃごちゃ言われるしね。
少しでもワクワクするような楽しいことを経験させてやりたい。
と思いつつ、出た先でも怒ることがしょっちゅうなんだが。。。
ある時、幼稚園のイベントで動物と触れ合う機会があって「ハムスター可愛かったー。飼いたいなー。」と言い出した息子。
よく考えると、ハムスターならそこまで大きく生活スタイルを変えずに飼えるかも。
少し調べてみたら、お世話もご飯と水を毎日替えるだけ。たまにおうちの掃除をするくらいで、あまり手もかからなさそう。
初期費用や日々の餌代もかなりお手頃。
旦那とも相談して飼ってみようということになった。
息子がペットショップで選んだのは“ブルーサファイアジャンガリアンハムスター”。
小さくてとーっても可愛い。
我が家に来てもうすぐ2ヶ月。
ご飯を忘れずにあげたり、大きな音をたてなないように気をつけたり、なかなか起きれない朝もハムスターが元気か気になって布団から出れたり。
ハムスターが一匹いるだけで、2人で「可愛いねー」って眺めたり世話したり、怒ってる時にひょこっと出てきてくれると「あ、出てきた!」ってなって場面が切り替えられる。
何より、ちょこんとした可愛い姿に癒される。
小さい小さい体だけど、大きな存在のハムスター。
“2人きり”じゃなくなったことって、とっても大きな変化だった。
私も息子もキミにとっても救われてるよ。
狙ったわけじゃないけど今年はねずみ年。
元気な姿でそばに居てね。
↓すべてはここから始まった。
インドと日本
インドから帰ってちょうど2ヶ月。
帰国が決まった6月半ばから、心も体も慌ただしく落ち着かない毎日。
10月の頭に引越し荷物が届いた。
インド生活で身の回りにあった馴染みの物が、あるべき場所に落ち着いて日本の家に溶け込んだ。
生活のペースも整ってやっと平常運転の日々。
それと同時にインドの4年間を過ごしたあの家と、完全にお別れした気持ちになって切なくもなった。
日本に帰ってすぐはとにかく掃除と片付けと日本に順応する為の毎日。
息子が、人生ゲームを友達の家で覚えてきて欲しがっていたことを、クローゼットの上の棚にあった私の子どもの頃の人生ゲームを見つけて思い出す。
棚から下ろし埃を拭き取ってびっくりする。
日本の4年の汚れとインドの2週間の汚れがほぼイコール。
いや、この人生ゲーム、もっと前から触ってないわ。
7年くらいか、、、
世界で一番空気が悪い都市と言われるデリー。
特に冬は、pm2.5の数値も視界も臭いも全てがずば抜ける。
そんな冬の一時帰国後の掃除で見る程度の黒さやん。
こっわ。
改めてこっわ。
箱に入ってた革のお財布。
カビ。
そう、日本の敵は湿気の方だ。
給湯器もだいぶ傷んでいた。
凍結防止のために水抜きをちゃんとしてもらったので管が破裂することは防げた代わりに、空洞になった管が熱くなって接続部分のプラスチックが劣化。
結局、水抜きしてもしなくてもダメやったっぽい。。。
お湯を使う度水圧で破損して、その度に修理に来てもらった。
まぁその修理のアポの電話も丁寧だし、時間通り来てくれるし、原因追求してまだ壊れてないとこも交換しといてくれたり、丁寧に説明してくれたり。
まず修理のアポが取れない、約束の時間に来ない、ちらっと見てノープロブレムとか言って水漏れの原因わかってないのに濡れてるとこだけ拭いて帰らない、、、
おっとっと。
愚痴が漏れた。
他にも洗濯カゴ、ピンチハンガーはプラスチックだったから使ってる時どんどん割れていってしまってびっくり。
プラスチックは劣化するんやなー。
100均で日用品をたくさん買い物した。
カレンダーも買って使いだしたらなんかおかしい。
え?来年のやん!
もう2020年の売ってるんですか?
その後色んなとこで見ても2019年売ってないー!
在庫管理能力にびびる。
夏までクリスマスのものが飾られてるインドとは大違い。
あと、水道局に聞きたいことがあって連絡した時、水道の使用量が変わってますけど大丈夫ですかって質問されてびっくり。
気付くことにも聞いてくれることにも感動。
感動と言えばスーパーよね。
野菜高いけどきれいすぎ!
ネギが全部使える!
玉ねぎもそのままかぶりつきたくなるくらいキレイ!美味しいそう!
トマトのワケありで売ってるやつが、インドでめっちゃ見極めて買う一番きれいなトマトよりキレイ!
こんにゃく安いー!嬉しいー!
あーーーもやしー!
きのこ類もいつでも買えるー!
冷凍食品どんだけ豊富でどんだけ美味しいのー!
CoCo壱でも、おいしすぎてマジで涙出てきた時、自分に「インドお疲れ様」って思った。
外を歩けば金木犀の匂い。
あぁ、いつぶりに嗅いだかなー。
でも木を見上げてもリスはいない。
ほんでカラスがデカくて黒くて毎回ビビる。
運転してると、狭い道のすれ違いも「全然いけるから早く行って!」と思ってしまう。
ミラーが当たる車擦るは日常茶飯事なインド。
ノーマルアクシデントってドライバーに言われて、なんやねん、その単語。って思ったのも遠い昔。
“かもしれない運転”で安全運転する日本と“んなわけない運転”でガンガンいくインド。
ミラー、当たったらあかんのやで、私。
息子はテレビを見る習慣がなくYouTubeばっかりだったせいで、番組のやってる時間に自分が合わせるというのがどうも理解できない様子。
トイレ行きたいから止めといて、とか出来ないからね。
私は逆に、見たい番組の告知とか見つけても諦めてる自分に気付く。
いや、見れるから!録画も出来るから!
映画も好きなだけ見れるから!
私も息子も、おかあさんといっしょの体操のお姉さん見てテンション上がる。
なぜって
インドカラーだったから。
日本は快適だけど、たまにあのごっちゃごちゃのインドの景色が恋しくなる。
たまーに。
たまーにね。
↓すべてはここから始まった。
kamakoおすすめ《Nehru Place MAP》
ネループレイス。
そこは布天国。
初めて来た時は、まだミシンも持ってなくて、布を見てもオーダーして作りたい服のイメージがわかず、中途半端な長さの布を買ってしまっていた。
その後、ひょんな事からミシンをゲットし、さらにミシンの先生に出会ってからは、数えきれないくらいネルーに足を運んだ。
何回も行くうちにお店のおじさんたちと顔見知りになり、会話も増え、ちょっと安くしてくれたり、「昨日お前の友達来てたぞ」と言われたり。
いつしか思い入れのある特別な場所へと変わっていった。
もう私はネループレイスに行くことはないのかもしれないけど、思い出とともに私的ネルー記録残しておきます。
《行き方》
【車】
下記の場所のパーキングを利用。
ネイルー・プレイス
https://maps.app.goo.gl/MgQvSxRUjALVEwQ89
【メトロ】
メトロイエローラインのHauz Khasでマゼンタラインに乗り換え、Botanical Garden方面の電車に乗る。Nehru Enclaveで降りて上記パーキング方面へ歩く。
※ヴァイオレットラインのNehru Placeからも行けますが、少し歩きます。ネループレイスは電気屋街と布屋街に分かれていてこっちの駅は電気屋街側。
Nehru Enclave
https://maps.app.goo.gl/8vyYUTXRgcm6CyVc6
《好きなお店》
子供のお迎えがあり、いつも同じとこらへんでタイムリミット。
買いたいものがある店に入る→顔なじみになる→行ったら会いたくなる→新規開拓する時間なくなる
というループでよく行くお店は片側に偏ってます。^^;
ネループレイスのほとんど全部のお店に入ってるとは思うけど、馴染みになったのは以下のお店でした。
※地図は、表示されてるお店は関係なく、だいたいの場所だと思って見てください。
場所
https://maps.app.goo.gl/dYb2UqMhnyrdpJL29
ネループレイスと言えばここ!
言わずと知れたHP Singh!
布のデパートと言えるくらい何でもある。
ブロックプリントも豊富。
レジ横のドアを出てエレベーターで3階へ行くとヴィンテージものの布やキルトもあり。
場所
HPの右隣。
可愛らしい柄が多めなので、子供の服やグッズを作るのに向いてるかも。
幅広の布も多数あり。
場所https://maps.app.goo.gl/q31grDFUrgpycunr6
ここを地下におりたところ。
HPの裏口から出たパーキングの一角にあるお店。
無地と言えば私はここ一択。
ほんとにここはカラーが豊富。
微妙な色味がたくさんあるから必ずイメージの色を見つけられると思います。
裏地なしでも透けないくらいのしっかりめのコットンもあってめっちゃ使える。
場所
https://maps.app.goo.gl/v7xTNp6ZC7sMDKp39
同じくパーキング側にあるお店。
子供の絵本バックやお稽古バック、カバン、ポーチなどに向いてるしっかりした帆布っぽい生地が買える。
柄も色々。
場所https://maps.app.goo.gl/uGbMSSgJwWNzXXyMA
ちょっと面白い柄があったり、クリップドドットボイル(この生地のためにめっちゃ名前調べた笑)の布が色々あったり。
何よりお店のおじさんがマスコットキャラクターみたいで、いつもニコニコ愛想よくて大好き。
特に買うものなくても、裏地用の布とか無駄に買ってたお店。
場所
https://maps.app.goo.gl/ZdN5zkWBrtiGQaih6
クッションカバー、玄関マット、ポーチなどを作るのによく来たお店。
厚手の柄物が豊富。
25センチから売ってくれる。(ていうかネループレイスのお店は、どこもだいたいミニマム25センチ)
ポーチなどの小物作る時は特に、解けやすいからカットしてすぐに端処理するなど工夫が必要。
買うものなくてもワクワクするお店。
場所
https://maps.app.goo.gl/BtX4EmndVbZAQrvC7
チェック柄ならここ。
地下の方が可愛いチェックが隠れてる気がする。
オーナー(と息子?)は東京に住んだことがあるらしい。←いるこの情報?
場所
https://maps.app.goo.gl/baPF2aDFJCaKCKHh9
リネンだったらこのお店。
ストライプ柄のリネンたくさん。
幅広の布でたっぷり使えるのがいい。
場所https://maps.app.goo.gl/99DRRaD2G1fWeHCc9
こういう系ブロックプリント探しに、よく来たお店。
ニコニコした可愛いおじいちゃんがいて、いつも冷えた小さいペットボトルをくれた。
ここからは階段を上がって2階(日本でいう)のお店。
場所
https://maps.app.goo.gl/5y9eerU8XPpbJyRs5
テープ、紐、ボタンなど大量にあるお店。
ただしちょっと高め。
たくさん買うと安くしてくれることあり。
場所https://maps.app.goo.gl/C7XqcEftvZtpGJNaA
ここも上の方で紹介したお店のような厚手の柄物。
同じ柄の色違いも色々置いてて楽しい。
イカット、日本で言う絣みたいな生地もあります。
場所
Tassel & Trim
https://maps.app.goo.gl/CpJpjB4mpkCb9HGH6
タッセルやタッセルのついたテープ、ビーズの飾り、クリスマス飾りなど。
見てるだけで楽しいところ。
値段は高めだけど、綺麗だし絶妙な色合いのものも多い。
場所
https://maps.google.com/?q=28.548699,77.254412
2階の突き当たりのレース屋さん。
とにかくたくさんある。
ここのレースを使ってピアス収納作ったなー。
2階にもコットンレースとか多数あり。
ファイリングしたサンプル一覧があるので、言えば見せてくれる。
以上!!
どれも思い入れがあって潰れて欲しくないお店なので、ぜひご利用ください。
日本に帰ってきて、憧れてたJUKIのミシンと念願のロックミシンをゲットしたのはいいんだけど。
やはり、、、布が、、、高い、、、。
お、安い!っと思って見るとその値段は10センチの値段で、ビビって何も買わずに帰るということを繰り返しています。
ドラえもーーーん!
どこでもドア出してーーーー!
↓すべてはここから始まった。